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李重俊 : ミニ英和和英辞書
李重俊[り じゅうしゅん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [じゅん]
 【名詞】 1. excellence 2. genius

李重俊 : ウィキペディア日本語版
李重俊[り じゅうしゅん]
李重俊(り じゅうしゅん、? - 707年)は、中国中宗李顕の三男。
698年、義興郡王に封じられたのを皮切に、左衛大将軍に昇進し、揚州大都督を兼任するようになった。706年秋には、皇太子として立てられた。しかし韋后の実子でなかったため、韋后の猜忌心を生むことになった。また後に安楽公主が皇太女の地位を狙うようになると、自身の地位に危機感を抱いた李重俊は、707年7月に左羽林大将軍李多祚・右羽林将軍李思衝李承況独孤禕之沙吒忠義らと結びクーデターを計画、韋后をはじめ武三思武崇訓父子、安楽公主やを殺害しようと計画した。しかし実際に挙兵すると、軍勢は玄武門で宮殿への侵入を阻止され、李多祚・李承況・独孤禕之・沙吒忠義などが戦死し、集団は潰走した。
クーデターに失敗した李重俊は、わずかな部下を引き連れ終南山へと逃亡したが、中宗の命を受け追撃した趙思慎により殺害された。
睿宗が即位すると、節愍太子追諡された。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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