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李 鍾旭(イ・ジョンウク、り しょうきょく、ハングル:、1980年6月18日 - )は、大韓民国のソウル特別市出身のプロ野球選手(外野手)。左投げ左打ち。韓国プロ野球のNCダイノスに所属している。 == 来歴・人物 == 嶺南大学卒業の後、に現代ユニコーンズに入団したが、当時の現代は2年連続優勝を成し遂げるなど、最強の戦力を誇ったため、新人であった彼にまで出場の機会は回ってこなかった。1年目の後、兵役を遂行するため、入隊して国軍体育部隊に配属された。2年間の服務を終えた時、チームは彼に戦力外通告を行い、無籍の身分になった。 その後、高校からの旧知の仲である孫時憲が彼を推し、金卿文監督も機動力を重要視していたためにテスト生として斗山ベアーズに拾われることになる。当時戦力が弱体化していると言われた斗山でチャンスをつかみ、シーズン序盤は代走要員だったが、5月以降は1番打者として定着。オールスターにも監督推薦にて出場。新人王こそ柳賢振に奪われたが盗塁王のタイトルに輝いた。彼の素質を見抜けず戦力外通告を決めた現代球団のフロントは後に激しく叱責されたという。は、持ち前の脚力を全面に出すため左翼手から中堅手へコンバートされ、初めてゴールデングラブ賞を受賞した。 に北京オリンピック野球韓国代表に選出された。対アメリカ合衆国戦ではサヨナラ犠飛を放つなど代表の優勝に貢献。前年47盗塁を決め足の早さを買われての第2回WBC韓国代表にも招集され、1次ラウンドでは全試合から得点を記録するなどチャンスメイクに成功していたが、打率が低く2次ラウンド途中から打撃好調の李容圭に外野の座を明け渡すことになった。 2009年は4月11日に史上14回目のサイクルヒットを放つも、試合中の骨折もあり長期離脱したことで、斗山移籍後初めて出場試合数が100を下回った。 は100試合以上に出場し復活を遂げ、2年ぶりにゴールデングラブ賞も受賞した。 2012年は成績不振だったが、2013年は2年ぶりの打率3割を記録し、オフシーズンには初のFAの権利を取得してNCダイノスに4年契約で移籍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李鍾旭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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