|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 李 : [り, すもも] 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina ・ 陵 : [みささぎ] 【名詞】 1. imperial mausoleum 2. Emperor's tomb
李 陵(り りょう、? - 紀元前74年)は、中国前漢代の軍人。匈奴を相手に勇戦しながら敵に寝返ったと誤解された悲運の将軍。司馬遷が宮刑に処される原因を作った人物である。字は少卿。 == 匈奴に善戦する == 祖父の李広は文帝・景帝・武帝に仕えた悲運の将軍として知られた人物であり、父の李当戸は武帝の寵臣であった韓嫣を殴打した剛直の士であった。父の李当戸は彼が生まれる数か月前に早世し、李陵は李当戸の遺腹の子である。 紀元前99年(天漢2年)、騎都尉に任命された李陵は武帝の命により貮師将軍李広利の軍を助けるために五千の歩兵を率いて出陣した。しかし合流前に単于が率いる匈奴の本隊三万と遭遇し戦闘に入る。李陵軍は獅子奮迅の働きを見せ、六倍の相手に一歩も引かず八日間にわたって激戦を繰り広げ、匈奴の兵一万を討ち取った。そのことを部下の陳歩楽を遣わして、武帝に報告させた。だが、さすがに李陵軍も矢尽き刀折れ、やむなく降伏した。 李陵が匈奴に降伏したとの報告を聞いた武帝は激怒し、郎中に任命されていた陳歩楽を問詰し、陳歩楽は自決した。群臣も武帝に迎合して李陵は罰せられて当然だと言い立てた。その中で司馬遷だけが李陵の勇戦と無実を訴えたが、武帝は司馬遷を李広利を誹るものとして宮刑に処した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李陵」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|