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李 雲竜(り うんりゅう)は、中華民国の軍人。北京政府、直隷派、国民軍に属した。原名は秉信。字は虎臣。号は実生。 == 事跡 == 1911年(宣統3年)10月の西安起義に参加する。その後は陝西省革命派人士である張雲山の配下となった。李雲竜は護国戦争(第三革命)にも参加する。さらに1918年(民国7年)1月に胡景翼らが三原で陝西督軍陳樹藩との戦いを開始すると、これにも参加した。胡が組織した陝西靖国軍で李は第2支隊司令となり、同年8月には第4路第4支隊司令となった。 1924年(民国13年)の北京政変(首都革命)を経て、胡景翼は馮玉祥率いる国民軍に加わり、李雲竜も国民軍第2軍第10旅旅長に就任した。1925年(民国14年)には、河南省をめぐる胡と憨玉琨との戦い(胡憨之戦)に参加している。胡急逝後の民国14年(1925年)8月、陝西軍務善後事宜兼河南国民軍第2混成旅旅長に任命された。 馮玉祥が西北国民軍総司令兼甘粛督弁に任命されると、李は1926年(民国15年)1月に孫岳の後任として署理陝西督弁に任命される。2月には国民軍第2軍第10師師長に任命された。同年9月、五原誓師を経て馮が国民革命軍に加入すると、李もこれに従った。 1927年(民国16年)6月、李雲竜は、国民革命軍西北軍(第2集団軍南路軍)第8路総司令に任命され、10月、国民革命軍東路副指揮となった。1928年(民国17年)、北伐に参加し、国民革命軍第2集団軍第16軍軍長兼国民政府軍事委員会委員に任命された。北伐後、新編第3師師長に任命される。その後、軍縮に伴い、1930年(民国19年)に第34師副師長に任命され、1931年(民国20年)、新編第3師師長に再び返り咲いた。しかし李は、中国共産党討伐に従事することを望まず、まもなく辞任・帰郷した。 以後、李雲竜は地元の名士として、学校建設や実業振興に取り組み、また、陝西省臨時参議会参議員もつとめた。1946年(民国35年)、陸軍中将銜を授与されている。中華人民共和国建国後も大陸に留まり、陝西省政治協商会議委員に任命された。 1954年、病没。享年65。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李雲竜」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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