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斉妃李氏(せいひ りし、? - 1738年)は、清の雍正帝の側妃。漢人の出身。知府の李文輝の娘。 初め、雍親王の胤禛(のちの雍正帝)に嫁ぎ、側福晋(側室)となった。子女を4人産んだ。 雍正帝の即位後、雍正元年(1723年)に「斉妃」に封じられた。当時、皇子らの中で弘時(斉妃の三男)は最年長であった。しかし、後に弘時が雍正帝により皇族から籍を削られると、母の斉妃も権勢を失った。 乾隆帝が即位すると、弘時の宗室身分が回復された。乾隆4年(1738年)、斉太妃は重病を患い、北海の五龍亭に移され、乾隆帝は皇太后を伴って斉太妃を見舞った。同年、薨去した。 == 子女 == * 和碩懐恪公主 * 弘昐(1697年7月19日 - 1699年3月30日) * 弘昀(1700年9月19日 - 1710年12月10日) * 弘時 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李斉妃」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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