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李 龍文(イ・ヨンムン、、1916年1月22日-1953年6月24日)は大日本帝国陸軍及び大韓民国陸軍の軍人。最終階級はそれぞれ少佐、少将。日本名は山本 健雄。兄に李龍芸。太極武功勲章授与者。''、1916年1月22日-1953年6月24日)は大日本帝国陸軍及び大韓民国陸軍の軍人。最終階級はそれぞれ少佐、少将。日本名は山本 健雄。兄に李龍芸。太極武功勲章授与者。 == 人物 == 1916年1月、平安南道平壌府大新洞に生まれる。平壌高等普通学校卒業。1937年、陸軍士官学校第50期騎兵科卒業。参謀本部等に勤務。 1948年、韓国陸軍特任入隊、任少佐(軍番12290番)。同年11月25日、初代機甲連隊長。1949年7月、陸軍本部情報局長。同年10月、甕津地区戦闘司令官。1950年6月、参謀学校副校長。 朝鮮戦争が勃発すると連絡要員兼督戦員として出動。ソウル市街戦と漢江渡河撤退の際、ソウル会戦で軍主力と政府が撤退したソウル市内の南山地区で白虎部隊を編成し徹底抗戦し、政府や市民の避難の助けとなった。市が陥落すると遊撃戦を行うつもりで一部の兵と共に南山に入ったが、食料が無いので、やむなく蛙や木の実で飢えをしのぎつつ、生存の努力をしていた。9月に国連軍がソウルを奪還すると、痩せ衰えた姿で発見された。 1950年10月16日、江原道地区戒厳民事部長。1951年6月、陸軍本部作戦教育局長。同年8月、准将。1952年3月、第9師団副師団長。同年7月、首都師団長。首都高地の戦闘を指揮。同年10月、南部地区警備司令官。1953年6月、航空事故で殉職。死後、少将に昇進した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李龍文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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