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村上 博幸(むらかみ ひろゆき、1979年4月15日 - )は競輪選手。京都府京都市出身。日本競輪学校第86期卒業。日本競輪選手会京都支部所属。師匠は兄でもある村上義弘(73期)。ホームバンクは京都向日町競輪場。 == 戦績 == 花園高等学校在学中からインターハイや国民体育大会等で活躍し、日本競輪学校に86期生として入学する。同期には井上昌己、稲垣裕之らがおり、在校競走成績第10位で卒業した。デビュー戦は2001年8月8日、奈良競輪場で迎え、初勝利も同日。またこの開催では完全優勝も果たす。 2004年の寬仁親王牌(前橋競輪場)でGI・GII通じての初出場を果たす。以後はビッグレースの常連選手となるが、一次予選もなかなか突破できない状況が続いた。 だが、2007年5月に行われた大垣記念でGIII初優勝を果たしたあたりから徐々にS級トップクラスでも活躍できるようになった。そして同年10月に地元バンクの向日町で開催された共同通信社杯競輪では、初日の優秀戦で山崎芳仁らを破って勝利すると勢いづき、翌日行われた京の雅賞では、兄・義弘との連携が実現し、義弘マークから直線で鋭く伸びて2着。さらに準決勝(10R)では金山栄治マークから2センター付近で捲り切り1着。決勝ではジャンから逃げる武田豊樹 - 室井竜二の3番手をキープし、山崎、新田康仁の動きを尻目にバックから捲って優勝を果たした。 2009年は全日本選抜競輪決勝の3着などで年間獲得賞金上位となり、2010年は兄の村上義弘と共に兄弟でS級S班格付となった。 2010年は2月の西日本王座決定戦で市田佳寿浩に次いで2着に入り、3月7日に松戸競輪場で行われた第63回日本選手権競輪決勝では、打鐘過ぎより先行した兄義弘の番手より追込み優勝。自身GI初勝利と共に兄義弘も2着に粘り、1976年のオールスター競輪での藤巻昇・藤巻清志兄弟以来史上2例目のGI決勝兄弟ワンツーフィニッシュとなった。 5月にはSSシリーズ風光る決勝でも兄義弘の捲りに乗り、直線で先行した武田豊樹を捕えGI2度目の優勝を果たす。同月のスーパープロピストレーサー賞(函館競輪場)も制覇し、直後に同地で行なわれた競技大会の全日本プロ選手権自転車競技大会でもケイリン種目において武田豊樹の同大会同種目5連覇を阻み優勝した。 なお特別競輪の優勝でKEIRINグランプリ2010の出場権を獲得したが、後に兄の義弘も賞金で出場権を獲得したことからグランプリ史上初の兄弟出場となり、そして12月30日のグランプリ(立川競輪場)では最後バック過ぎから前を回る兄の後位より自力で抜け出し、直線では山崎芳仁と激しい一騎打ちを繰り広げほとんど同時にゴールラインを駆け抜けて写真判定に勝負の結果が委ねられたが、微差で1着となり初のグランプリ制覇を果たした。また、これにより村上博幸は2010年の獲得賞金が2億3,700万円となったことから当年の競輪賞金王にも輝いた〔村上博が優勝、初の賞金王に=競輪GP 時事通信 2010年12月30日閲覧〕。 2011年2月に豊橋競輪場で行なわれた東西王座戦の西日本王座決定戦決勝でもグランプリ10同様に兄の義弘後位から抜け出し優勝している。 その後はケガなどで不調が続いているが、2014年の全日本選抜競輪決勝では中団の内から最終4角での集団落車を堪えて直線伸びGI3勝目を手に入れた。しかし直前の2013年12月にSS11への加担があったことからKEIRINグランプリ2014への出場は微妙な情勢だったが、日本競輪選手会より当初受けた処分が軽減されたことによりグランプリへの選出要件を全て満たしたことから出場できることになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上博幸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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