|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 上 : [じょう] (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior ・ 作 : [さく] 1. (n,n-suf) a work 2. a harvest
村上 啓作(むらかみ けいさく、1889年(明治22年)6月16日 - 1948年(昭和23年)9月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == 栃木県出身。農業・村上角次の四男として生れる。陸軍中央幼年学校予科、中央幼年学校本科を経て、1910年5月、陸軍士官学校(22期)を優等で卒業し、同年12月、歩兵少尉に任官し近衛歩兵第3連隊付となる。1916年11月、陸軍大学校(28期)を優等で卒業した。 陸軍技術審査部付(軍事調査部)、歩兵第3連隊付(ロシア出張)、ロシア駐在、陸大教官、兼参謀本部員、参謀本部員、陸大教官、陸軍省軍務局課員(軍事課)、歩兵第34連隊長、陸軍歩兵学校教導隊長、陸軍省兵務課長などを歴任し、二・二六事件当時は軍事課長であった。陸大教官を経て、1937年8月、陸軍少将に進級。 関東軍司令部付を経て、1939年10月、陸軍中将となる。日中戦争では第39師団長として出征し、宜昌作戦に従事した。陸軍科学学校長、参謀本部付、総力戦研究所長、陸軍公主嶺学校長、関東軍司令部付などを歴任し、1944年11月、第3軍の最後の司令官に就任し、延吉で終戦を迎えた。戦後、シベリア抑留となり、1948年9月、クラスノゴルスクの収容所で病死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上啓作」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|