|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 上 : [じょう] (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country
村上 国治(むらかみ くにじ、1923年1月5日 - 1994年11月3日)は、日本の政治運動家である。日本共産党札幌市委員会委員長。1952年に起きた白鳥事件において殺人の共謀共同正犯で有罪となって無期懲役。冤罪を主張したが、再審請求および特別抗告は認められず、有罪は取り消されなかった。仮釈放後に事故死。 == 経歴 == 北海道比布町出身〔第61回国会衆議院法務委員会第6号議事録 昭和44年3月11日 〕。開拓農家の貧しい家庭に育った。日本共産党に入党、のち札幌委員会委員長となる。 1952年1月21日、札幌市警察本部警備課長警部白鳥一雄が射殺される白鳥事件が発生。翌22日、「見よ、天誅遂に下る!」のビラの文案を執筆。党員間の秘密連絡役(レポ)の男に「明日朝5時に印刷所に行ってビラを受け取り、各細胞に配れ」と指示した〔渡部富哉「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実③ ちきゅう座、2012年3月23日〕。 同年10月1日、他の容疑者とともに逮捕された〔山田清三郎『白鳥事件』、新風舎文庫、2005年10月〕。1953年6月23日、面会に来た特別弁護人に、実行犯を国外逃亡させよとの秘密指示書(レポ)を獄中から渡した〔渡部富哉「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実② ちきゅう座、2012年3月22日--この指示内容が党員である当局のスパイに伝わったために、のちに特別抗告が棄却されることにつながった、という。〕。 1957年5月7日、札幌地裁で無期懲役判決、控訴。1960年5月31日、札幌高裁で懲役20年の判決、上告。1963年10月17日、最高裁で上告棄却判決、有罪が確定し、網走刑務所に収監された。 1965年10月21日、獄中から札幌高裁に再審申立。1969年6月13日、札幌高裁は再審請求棄却、異議申立。1969年11月14日、仮釈放。1971年7月16日、札幌高裁は異議申立を棄却、最高裁へ特別抗告。1975年5月20日、最高裁に特別抗告を棄却されたものの、「再審制度においても『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用される」という通称「白鳥決定」を引き出した。 この間、村上は終始無実を主張、獄中では処遇改善を求め詩作もする中、事件は社会的関心をよび、110万人余の署名、79市町村の地方決議、白鳥大行進など大衆的裁判運動が進められる一方、唯一の物証である弾丸の証拠価値が崩され、裁判所も権力犯罪が存在する可能性に言及するまでになった〔荒川章二 「白鳥事件(しらとりじけん)」 日本大百科全書(小学館)〕。 一時期日本国民救援会副会長を務めたが、1985年、前年11月に自転車泥棒をしたとの新聞報道がもとで、同会第40回大会において副会長を解任された。 1994年11月3日午後10時5分ころ埼玉県大宮市(現さいたま市)の自宅が全焼し、二階で焼死体となって発見された〔渡部富哉「白鳥事件関係裁判資料の公開と真相をめぐって」 ちきゅう座、2009年12月5日〕 〔渡部富哉「白鳥事件は冤罪ではなかった!」新資料・新証言による60年目の真実 ちきゅう座、2012年3月18日〕〔高橋彦博 「白鳥事件の消去と再生 『白鳥事件』(新風文庫)刊行の機会に」 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上国治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|