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村上 忠則(むらかみ ただのり、1949年8月4日 - )は、兵庫県出身のアマチュア野球選手(捕手)・指導者。後に横浜ベイスターズチーム運営統括(ゼネラルマネージャーと称されることもあった)を務めた。 == 来歴・人物 == 兵庫県立津名高等学校から静岡県富士市の大昭和製紙に入社。控え捕手としての第41回都市対抗野球大会において優勝を経験し、大会後に北海道白老町の大昭和製紙北海道に転部する。 の都市対抗では正捕手として優勝に貢献、この年の社会人ベストナインにも輝き、翌も受賞した。にはハーレムベースボールウィークにおいて日本代表として初めてキューバ代表に勝利した際のチームの一員となっている。 、大昭和北海道の一時休部により日産自動車に移籍。の都市対抗で自身3度目の優勝を果たす。は日本石油の補強選手として4度目の優勝を経験し、これを花道に現役を引退した。 からは日産の監督に就任、の退任まで都市対抗で1回()、社会人野球日本選手権大会で2回(、)の優勝に導く。には都市対抗に選手・監督として通算25度目の出場を果たした事を讃え特別賞を受賞している。 日産監督退任後は日産本社からの出向で神奈川日産自動車にて法人事業部長を務めながら、IBAFワールドカップ日本代表監督やIBAFインターコンチネンタルカップ日本代表コーチを歴任した。 10月、元日産野球部長で横浜ベイスターズ社長に就任していた佐々木邦昭の誘いを受け日産を退社し、ゼネラルマネージャー格の役職である「チーム運営部門統括」に就任。 、裏金問題で荒井信久が解任されるとスカウト部長も兼任し、アマチュア時代に築いた社会人野球とのパイプを生かして選手獲得に貢献した。特に早稲田大学野球部監督の應武篤良とは現役当時から付き合いがあったことから、2008年のドラフト会議では横浜にとって「荒川事件」以来となる早大の選手の指名・獲得(松本啓二朗、細山田武史)を果たしドラフトでは一定の成果を出した。 しかし、チームの編成面(主力選手のFAでの放出、トレード失敗など)では結果を出せず長年チーム成績が低迷する原因を作ってしまった。それに伴いのシーズン終了後に球団社長の佐々木邦昭と共に責任を取る形で辞任し、退団した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上忠則」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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