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村上木彫堆朱(むらかみきぼりついしゅ)は、新潟県の村上市において製造される漆器である。1955年に「新潟県文化財」、1976年に経済産業大臣指定伝統的工芸品の指定を受けた。 == 歴史 == 室町時代の文安年代よりこの地域近辺に耕雲寺、龍皐寺などの寺院が建立されていた。その際、京都から来ていた大工や工芸師などがその事業に加わったことが当漆器の起こりとされている。村上頼勝が藩主の時、寺院の建築が盛んになった。 江戸時代に入り、元和には城郭や武家屋敷の改築、建設が進められ、それは寛文まで続けられた。京都から木匠伊太郎などを招聘し、村上で彫刻の技術が高められたのはこの頃とされる。寛文2年に羽黒神社が再建となり神輿に漆工芸を施す必要があったが、これも京都から職人を招いている。寛文7年、榊原政倫の時代に藩士の荒山市右衛門が漆奉行になったという。同時にウルシを植樹させている。 文政の時、江戸詰であった村上頓宮次郎兵衛は堆朱の名工、玉楮象谷を師匠 に彫刻を学び、同藩士の澤村吉四郎も加わって世に聞こえた才能を乞うた。 天保年間に江戸詰となった澤村吉四郎が、久松老松軒、岩村太郎左衛門などに教示し彼らがその漆工を持ち帰った。藩の工芸奨励政策もあり工匠達の間で広まった。板垣周左衛門(後に苗字帯刀を許され有磯周斎となる)は技巧の向上、また、活発に販路の拡大に努め、漆器を村上の特産品にし、今日の村上漆器の基礎を固めたとされる。慶応年間に仏壇、仏具にも加工を広げ世間に広まって行った。 明治に入って漆業は一種の道楽から生業となり元士族の間でも行われた。 その後需要が増加するも、濫造する結果を招いていた。そこで周斎の子、周亭や山脇長平などが明治26年に村上工芸社を組織、技術の進歩と販路拡大を図った。販路は海外にも広まり、分業制の活用もあって村上漆器は栄えた。昭和11年当時では80名の会員が在籍していた。 現在、生産されているのは杯・皿・重箱・鉢・茶筒・なつめ・菓子器・盆・箸・花器などがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上木彫堆朱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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