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村上藩(むらかみはん)は、越後国に存在した藩。藩庁は村上城(現在の新潟県村上市)。 == 歴史・藩史 == === 村上の歴史 === 平安時代、藤原氏の一族中御門家が支配する荘園が岩船郡、すなわち現在の村上市から朝日村にかけてあり、これを小泉荘といった〔大場『シリーズ藩物語 村上藩』、P1〕。これに後に新しい領域が加わり、古い地域を本庄、新しい地域は加納と呼ばれるようになる〔。 平安時代末期、源平争乱を制した源頼朝が文治元年(1185年)に全国に守護・地頭を設置すると、小泉荘には秩父家が地頭に任命された〔。この秩父家は頼朝の重臣として源平合戦で抜群の戦功を立てた畠山重忠の弟重宗が祖である〔。本庄には秩父行長が入って本庄行長と改名し、その弟為長は加納の色部条に入って色部為長を名乗り、以後は土着した国人領主となった〔。本庄家は猿沢(現在の朝日村)を居所として極めて堅固な構えを築くが、狭い居住地域で不便だったため、明応年間(1492年から1501年)頃に村上に居所を移した〔大場『シリーズ藩物語 村上藩』、P2〕。だが、当時の村上は未開拓だったため、本庄家は標高135メートルの独立峯の村上山一帯に堅城である村上城を築城した〔。この時の築城主は本庄房長である〔。だが房長は一族内紛の末に憤死し、跡を継いだ嫡子本庄繁長は内紛を制して越後北部に強大な勢力を築いた。 繁長は上杉謙信に仕えて鬼神とまで称された勇将であった〔。一時期は武田信玄に通じて謙信を裏切り大いに苦しめたこともある。だが降伏して許され、謙信没後は跡を継いだ養子景勝に仕え、景勝から竹に飛雀の紋と上杉景信の名跡を継ぐことを許され、上杉一門として優遇された(ちなみに竹雀の紋は本庄家と山浦家にしか許されなかった)〔。村上は上杉家の本拠春日山城に次ぐ軍事都市に発展し、天正16年(1588年)には本庄繁長は最上義光と戦って十五里ヶ原の戦いで最上軍を撃破し、庄内地方をも制圧した〔。繁長が天正18年(1590年)に村上を去ると、上杉家家老直江兼続の弟大国実頼の代官春日元忠が入った〔。 この村上は最上義光、伊達政宗ら奥州の雄を押さえるには戦略的に極めて重要な拠点となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上藩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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