|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 村 : [むら] 【名詞】 1. village ・ 上 : [じょう] (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior ・ 雄 : [おす] 【名詞】 1. male (animal)
村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月20日 - 1986年(昭和61年)11月15日)は日本の教育者、日本海軍軍人。 == 経歴 == 一般的には村上雄蔵と表記。父秋太郎、母繁子の長男として兵庫県神戸市に出生。幼少より困窮に苦しむ。神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)夜間部に通う傍ら、神戸川崎造船所(後の川崎重工業神戸造船所、現在の川崎造船神戸工場)に勤務。 1944年(昭和19年)、帝国海軍飛行予科練習生(甲飛15期)、三重海軍航空隊から浦戸海軍航空隊(高知)に移り終戦(終戦時2等飛行兵曹)。戦後は神戸に戻り、GHQからの払い下げ品を闇市で販売して生計を立てる。この時実践的な英会話を身に付ける。 1950年(昭和25年)旧制の神戸市立外事専門学校(現・神戸市外国語大学)英語科卒業、英語科教員免許取得。その後、篤志家による学費補助を得、旧制神戸経済大学経済学科(現・神戸大学経済学部)に進学。 1953年(昭和28年)卒業(旧制23回、新庄博ゼミ)。家庭の事情で就職できず、大学院(藤井茂ゼミ)に進学するも、授業料を払えず中途退学。アルバイトで勤めていたYMCA教員から兵庫県立湊川高等学校教諭を経て、兵庫県立兵庫高等学校教諭。 1968年(昭和43年)に退職し、兵庫県知事認可(後学校法人)予備校神戸セミナーを創立。理事長・校長・英語科教員を兼ね、更にカルチャーセンターなどで日本史の講義を担当した。兵庫県予備校連盟会長などを歴任。 1986年(昭和61年)心筋梗塞により没。その後、神戸セミナーは喜多徹人に引き継がれ現在に至る〔船井総研 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村上雄藏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|