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村井 慎二(むらい しんじ、1979年12月1日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは主にミッドフィールダー。 ==来歴== ジェフユナイテッド市原のジュニアユース、ユースチームを経て1998年にトップチームに昇格した。なかなか芽が出なかったが2000年に就任したズデンコ・ベルデニックに見出され、翌2001年からは左サイドに定着した。2001年から2003年までの崔龍洙とのホットラインがジェフユナイテッド市原の得点源のひとつであった。 高い実力と共に、2005年からホームゲームを行う千葉市出身の選手という事でジェフユナイテッド市原では非常に人気の高い選手であったが、ジェフユナイテッド市原がジェフユナイテッド市原・千葉に名称を変更し、出身地の「千葉」の名称が入る直前に、当時ジュビロ磐田の監督に就任した山本昌邦のオファーを受け、磐田に移籍した。 磐田ではジェフ時代よりも守備が要求され、また連携がなかなかうまくいかない中、前田遼一とのコンビを比較的早く成立させ、彼の得点を何度もアシストしている。そして2005年の東アジア選手権では、日本代表に初招集された。 ドイツワールドカップに向けた日本代表における左サイド三都主アレサンドロの控えの座を巡り、中田浩二、三浦淳宏、駒野友一と激しいポジション争いを繰り広げる。だが、三都主の疲労を考慮され〔鹿島と浦和の選手は2日前にJリーグの試合があった為。〕先発出場した2006年5月9日のブルガリア戦において試合中に負傷退場する。翌日の診断結果は左ひざ前十字じん帯断裂で全治半年から1年と診断された。これにより5月15日のワールドカップメンバー決定を目前にしての離脱・落選を余儀なくされたほか、同年は残りをリハビリに費やすことになってしまった。幸いにして順調に回復、2007年シーズンの開幕に間に合った。 2009年11月25日チームの若返りや経営不振が影響となり、ジェフ時代からの同僚で磐田でも05年から共に5年間在籍した茶野隆行とともに磐田から戦力外を受ける。 2010年1月7日過去に7年間在籍した古巣の千葉に5年ぶりに復帰したが、2011シーズン終了後に戦力外通告を受けた。2011年12月13日にJリーグ合同トライアウトに参加。2012年より、大分トリニータに完全移籍した。移籍後は3トップの一角としても起用されている。2013年11月28日、契約満了による退団が発表された。 2014年、千葉県社会人サッカーリーグ3部のコラソン千葉の選手兼任監督に就任した。コラソン千葉下部組織のコーチと千葉経済大学のアドバイザーも兼任する。 2015年3月、現役引退と城西国際大学サッカー部コーチ就任が発表された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村井慎二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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