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村井知至 : ミニ英和和英辞書
村井知至[むらい ともよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [い]
 【名詞】 1. well 

村井知至 : ウィキペディア日本語版
村井知至[むらい ともよし]

村井 知至(むらい ともよし、1861年10月22日文久元年9月19日) - 1944年昭和19年)2月16日)は、日本の牧師社会主義者英語学者である。
伊予松山藩士村井観蔵の長男として生まれる。格物致知にちなんで知至と名づける。1876年上京し、三菱商業学校に入学するが、中退する。横浜商館丁稚になり、商業貿易を実地で学んだ。働きながら、J・H・バラ宣教師の英語塾(バラ塾)で学ぶ。その間にキリスト教に入信し、横浜海岸教会稲垣信牧師から洗礼を受ける。
その後、同志社の卒業生の親友の勧めで、同志社に編入し、校長新島襄から大きな影響を受ける。1884年に同志社英学校を卒業し、神学科に進むが、伝統的なカリキュラムに飽き足らずに、教師の交代などを要求するが聞き入れられなかったので、安部磯雄と共に退学する。
1889年渡米して会衆派の神学校のアンドーヴァー神学校で学んだ。1893年に帰国して本郷教会の牧師を務めた。その後、1894年の日清戦争終結後に再渡米しアイオワ大学社会学を学び、1897年帰国する。その後ユニテリアン協会惟一会の説教者になった。1898年には、惟一館を拠点に社会主義研究会を結成し、会長になる。また、六合雑誌に多くにユニテリアンの論文を発表する。
1899年東京外国語学校教授に就任し、7月には日本初の社会主義理論書の『社会主義』を出版し、キリスト教社会主義を提唱する。1907年には松村介石の日本教会(道会)の活動に協力する。しかし、後に松村と対立し、「仏教でもなく、キリスト教でもない、無名の宗教」と提唱する。
1924年に第一外国語学校を創立する。
== 著書 ==

*『社会主義』(1899年)
*『社会主義 復刻版』(桜耶書院、2015年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「村井知至」の詳細全文を読む




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