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村井 資長(むらい すけなが、1909年(明治42年)11月22日 - 2006年(平成18年)3月31日)は日本の工学者、早稲田大学名誉教授、日本カナダ教育文化交流財団理事長。早稲田大学の第10代総長。キリスト教プロテスタントである。次男村井吉敬は早稲田大学客員教授を務めた。旧姓日野西。 == 経歴 == 北海道茅部郡石倉村濁川の広大な日野西牧場で日野西長輝の三男として生まれた〔村井資長先生を偲ぶ - 早稲田応用化学会 〕。叔母日野西薫子が妻に先立たれていた村井吉兵衛のもとに嫁いだことで日野西家と村井家の関係が生じた〔。村井吉兵衛は当時のタバコ事業で成功した新興財閥である〔。1938年村井薫子の養女となっていた村井吉兵衛の孫の禎子とかねてから決まっていた通り婿養子縁組婚姻、村井資長と改姓した〔。 岡山県立高梁中学校を経て、当時、民間の学習院と呼ばれた私立高千穂中学校卒業。早稲田大学高等学院(予科)を経て早稲田大学理工学部応用化学科(燃料工学専攻)卒。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了、早稲田大学大学院理工学研究科博士課程修了。 早稲田大学理工学部助手、専任講師、助教授を経て、早稲田大学理工学部教授に就任。理工学部長、教務部長、常任理事を経て1970年 - 1978年に第10代総長を務める。総長として、早稲田大学100周年記念事業として、新キャンパス造成、新学部設置計画を推し進めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村井資長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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