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村国 虫麻呂(むらくに の むしまろ、生没年不詳)は、日本の奈良時代の人物である。名は武志麻呂とも書く。旧仮名遣いでの読みは同じ。姓(カバネ)は連。764年の藤原仲麻呂の乱のとき、仲麻呂の子辛加知の下で越前介で、連座して官位を剥奪されたが、766年に元の位に復帰した。外従五位下。 == 事績 == 村国氏は美濃国各務郡の豪族で、村国男依が672年の壬申の乱で功を立てたことにより、朝廷でも知られるようになった。虫麻呂はその係累と思われるが、系譜は不明である。 天平宝字5年(761年)1月2日、正六位上の村国連虫麻呂は、外従五位下に昇り、初めて『続日本紀』に記される。武志麻呂は、7年(763年)4月14日に播磨介になった。翌8年(764年)1月21日に、藤原辛加知が越前守になったとき、虫麻呂はその介とされた。辛加知は藤原仲麻呂の子で、この年9月の藤原仲麻呂の乱で殺された。虫麻呂は乱に連座して官位を剥奪されたらしい。 乱後の天平神護2年(766年)12月25日に、無位の虫麻呂がもとの外従五位下に復帰した。これより先に、同じ乱で仲麻呂に与する者と疑われて殺された村国島主が無実であったと認められている。虫麻呂の復位も反乱に関与しなかったと認められたためであろう。これをもって虫麻呂に関する記録は途絶える。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村国虫麻呂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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