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村国 子老(むらくに の おい、生没年不詳)は、日本の奈良時代の人物である。姓(カバネ)は連。741年に讃岐国介を解任された。763年に外従五位下に進み、能登守になったが藤原仲麻呂の乱に連座して処分された。770年に元の位に復帰し、771年園池正、772年伊豆守、出雲介を歴任した。 == 事績 == 村国氏は美濃国各務郡の豪族で、村国男依が672年の壬申の乱で功を立てたことにより、朝廷でも知られるようになった。子老はその係累と思われるが、系譜は不明である。 天平13年(741年)5月27日に、讃岐国の介、正六位上村国連子老が、越後国の掾錦部連男笠とともに、解任された。理由は、官長に礼を失いたがいに和順しなかったからとされた。位は元のままであった。 天平宝字7年(763年)1月9日、子老は正六位上から外従五位下に進み、主船正に任じられた。翌8年(764年)8月4日に、能登守になった。藤原仲麻呂の乱はその翌月に起こった。このとき村国氏の中では村国島主が仲麻呂の与党と見られて殺された。子老の処分は明記されないが、能登守を解任され、位を奪われるか下げられるかしたらしい。翌年に平群虫麻呂が能登守に任命されている。 宝亀元年(770年)10月1日に、正六位上から外従五位下に進んだ。翌年に園池正、宝亀5年(774年)に伊豆守、出雲介を歴任したところで、子老の記録は途切れる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村国子老」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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