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村尾 次郎(むらお じろう、1914年(大正3年)9月20日 - 2006年(平成18年)12月9日)は、日本の歴史学者。 == 来歴・人物 == 静岡県浜松市の医家(父は医学博士・圭介。松籟と号す)に生まれた。虎童子と号す。考証学者 村尾元融は、血縁の父祖にあたる。 横浜一中、静岡高等学校卒業後、1936年(昭和11年)、東京帝国大学文学部国史学科に進学後は平泉澄の内弟子となり、学問・生活万般にわたって教導を受け、生涯の師と仰ぐに至った。1940年(昭和15年)、卒業と同時に東京帝国大学文学部助手となるも、1943年(昭和18年)3月、応召、歩兵より船舶兵科に転じ、陸軍船舶幹部候補生隊本部教官として、学徒候補生と共に在った。戦後は、古代史専攻の学究生活に入り、1961年(昭和36年)、東京大学より「律令財政史の研究」により文学博士の学位を受けた。1951年(昭和26年)から富士短期大学につとめた後、1956年(昭和31年)、文部省に入り、教科書検定調査の任務に就き(文部省主任教科書調査官)、1965年(昭和40年)、家永三郎との「教科書訴訟」が起こると、被告国側証人として、東京地裁の法廷に立つこと三回に及んだ。1975年(昭和50年)、定年退官。日本の伝統文化を重視した高校教科書「最新日本史」を執筆。 東京帝国大学・拓殖大学・海軍経理学校・富士短期大学・大東文化大学・中央大学・東京教育懇話会・日華交流教育会議・国語問題協議会・全国地名保存連盟・大倉精神文化研究所・日韓文化協会・日本学協会・月曜評論社・全国進路研究所・神社新報社等に関係し、また「日本の建国を祝う会」前会長、日本会議代表委員でもあった。中辻和彦・持丸博等が雑誌『論争ジャーナル』を立ち上げるにあたって、当初から助言・指導を与えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村尾次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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