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村尾重良 : ミニ英和和英辞書
村尾重良[むらお しげよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [りょう]
 【名詞】 1. good 

村尾重良 : ウィキペディア日本語版
村尾重良[むらお しげよし]
村尾 重良(むらお しげよし、天正2年(1574年)- 慶長2年(1597年))は安土桃山時代薩摩国島津氏家臣。通称は与五郎。父は村尾重侯、母は有川右近の娘。弟は村尾重昌
天正2年(1574年)に島津義弘の家臣である村尾重侯の嫡子として誕生する。文禄元年(1592年)19歳のときに、義弘の嫡子である島津久保の供として朝鮮出兵を果たす。しかし、翌文禄2年(1593年)に久保が朝鮮唐島にて病死すると、その亡骸と共に一時帰国する。文禄3年(1594年)、今度は久保の弟である島津忠恒の供として朝鮮に渡海、在陣中の忠孝により1,000石を賜る内意を得ている。
慶長2年(1597年)8月、義弘・忠恒父子が朝鮮の南原城を攻め落とすべく進軍したときのこと、重良ら数人と、同じく南原城を攻めようとしていた蜂須賀家政の手の者7-8人との間で喧嘩(事実上の果し合い)が勃発する。重良はうち一人を組み伏せ、右手を切られながらも左手でその者を討ち果たした。その後、負傷により歩行が困難となり、忠恒の命で輿に乗って行軍することが許されたものの、その傷が元で陣中にて死去した。享年24。
==参考文献==

*『本藩人物誌』 鹿児島県史料集(13)(鹿児島県史料刊行委員会)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「村尾重良」の詳細全文を読む




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