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村山 龍平(むらやま りょうへい、嘉永3年4月3日(1850年5月14日) - 昭和8年(1933年)11月24日)は朝日新聞の経営者(社主・社長)、政治家。衆議院議員、貴族院議員。玉城町名誉町民第1号〔伊勢文化舎(2008):58 - 59ページ〕。 == 来歴・人物 == 嘉永3年(1850年)、伊勢国田丸(現・三重県度会郡玉城町)に生まれる。幼名は直輔〔金子(1983):273ページ〕。 実家は紀州藩旧田丸領に仕えた旧士族。幼少時代は腕白なガキ大将で、喧嘩に負けそうになると小刀を振り回し、両親や近所の人を困らせていた〔。しかし文久3年(1863年)冬に、母が重病になってからは改心し、母の平癒を祈り、冷静沈着な少年に変わった〔。慶応3年(1867年)からは田丸城に勤番した。 明治4年(1871年)に一家を挙げて大阪に移住〔し、父とともに西洋雑貨商「村山屋」(後に「田丸屋」→「玉泉舎」)を営む。明治11年(1878年)7月に大阪商法会議所(大阪商工会議所の前身)の最初の議員に選ばれる〔金子(1983):274ページ〕。 明治12年(1879年)に朝日新聞の創刊に参加。明治14年(1881年)、木村平八・騰父子から同紙の所有権を獲得、上野理一と共同経営にあたる(明治41年(1908年)以後は1年おきに社長)。 明治24年(1891年)に第1回衆議院議員総選挙補欠選挙で衆議院議員に初当選。以後、第2回、第3回総選挙で当選し、衆議院議員を通算三期務めた。その他、大阪府会議員、大阪市会議員などを歴任。大正7年(1918年)に白虹事件で暴行を受ける。昭和5年(1930年)に貴族院勅選議員となった。 昭和8年(1933年)に84歳で死去。勲一等瑞宝章、従四位を追贈された。娘婿は村山長挙(後の朝日新聞社長)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村山龍平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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