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村本 善之(むらもと よしゆき、1955年6月7日 - )は日本中央競馬会 (JRA) に所属する調教助手で、元騎手。GI級競走7勝を挙げたほか、フェアプレー賞を史上第2位の13回受賞している。北海道亀田郡大野町(現・北斗市)出身。 == 来歴 == 中学校卒業後、縁戚にあたる新規開業調教師の坂田正行厩舎に入門。清水英次は兄弟子にあたる。馬事公苑騎手養成短期課程を受講後、1975年に騎手免許を取得。同年3月1日に正騎手としてデビューし、同日第9競走で初勝利を挙げた。 デビュー2年目に鎖骨骨折による休養を経験したが、徐々に頭角を現し、5年目の1979年にニチドウアラシで金鯱賞に優勝し、重賞を初制覇。同年42勝を挙げて全国リーディング12位に付ける躍進を見せた。翌年にはニチドウタローで天皇賞(春)を制し八大競走に初優勝した。以降、1984年に厩舎の都合によりフリーランスに転向したあとも、常にランキング10位近辺をうかがう中堅上位騎手として安定した成績を残した。 しかし1990年代後半から徐々に勝利数が減少し、2001年には8勝でデビュー以来初のひと桁勝利に終わると、翌年も同様の成績に終わり、2003年12月10日に騎手を引退した。 通算成績は972勝で、1000勝まで28勝を残しての引退だった。 引退後は調教助手に転業し、栗東トレーニングセンターの吉岡八郎厩舎に所属。2008年からは池江泰郎厩舎所属となり、2011年の池江泰郎の定年に伴う厩舎解散により、高野友和厩舎に移籍した。 「人の進路を押しのけてまで乗りたくない〔木村幸治『騎手物語』(洋泉社、1998年)268頁。〕」とする考えから、非常にクリーンな騎乗振りで知られ「フェアプレー男」の異名も与えられていた。また、フェアプレー賞は馬を真っ直ぐ走らせる技術の証左ともいえ、村本自身も「貰えるというのは名誉なこと〔『競馬騎手読本』(宝島社、1997年)188頁。〕」と語っていた。そのフェアプレー賞は13回受賞しており、これはJRA騎手では藤田伸二(14回。2007年に更新)に次ぐ歴代第2位の受賞回数を誇るが、制裁点が0になった年はいちどもないため特別模範騎手賞は受賞していない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村本善之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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