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村松 増美(むらまつ ますみ、1930年7月31日 - 2013年3月3日)は、日英会議通訳者(同時通訳者)。男性。 == 来歴・人物 == 東京生まれ。早稲田大学第二文学部中退後、在日米軍のタイピストから通訳者に。1956年日本生産性本部駐米通訳として渡米、1960年日米貿易協議会(ワシントン)調査部長に就任、この間ジョージ・ワシントン大学で国際経済学を修める。1965年に日本初の会議通訳者集団である株式会社サイマル・インターナショナル創設に参加。同社社長、会長、顧問を経て、2000年9月末退任。 西山千、國弘正雄、小松達也らと共に、日本における会議通訳者(同時通訳者)の草分け的存在であり、主要国首脳会議(サミット)には1975年の第1回ランブイエ・サミットから第9回まで毎回通訳チームの一員として日本の外交に貢献するなど、国内外で数々の重要な通訳を担当し、「ミスター同時通訳」とも称された。また、国際ユーモア学会理事を務めたり、2001年にはNPO「えむ・えむ国際交流協会」を設立し代表として各種講演活動を行なうなど、通訳者として第一線を退いた後も国際コミュニケーション分野で活動。1969年のアポロ11号月面着陸のテレビ中継の同時通訳も務めた。 2013年3月3日、82歳で死去〔「ミスター同時通訳」村松増美氏が死去 MSN産経ニュース、2013年5月8日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村松増美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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