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村松 恒一郎(むらまつ こういちろう、元治元年4月24日〔故村松恒一郎位記追賜ノ件 〕(1864年5月29日) - 昭和15年(1940年)6月5日)は、日本の衆議院議員(憲政本党→立憲国民党→純正国民党→立憲民政党)、ジャーナリスト。 == 経歴 == 伊予国宇和島出身。宇和島藩士村松喜久造の長男〔『伊予の事業と人物』〕。1884年(明治17年)に同人社を卒業後、高野山大学林で英学講師を務めた〔『衆議院要覧』〕。その後、関西日報、国会新聞、中央新聞、東京朝日新聞、大阪朝日新聞などで記者を務めた〔。やがて雑誌「大国民」を創刊し、また大東通信社の社長を務めた〔。 1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。当選回数は5回を数えた。その間の1919年(大正8年)には普通選挙を主張し、立憲国民党内の党議に敗れて離党している〔『普選運動史及普選の心得』p.42〕。 また、1913年(大正2年)以後は東京市会議員や麻布区会議員も務めた〔。 その他に伊達侯爵家委員、山下合名会社顧問などを務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村松恒一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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