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村松殿 : ミニ英和和英辞書
村松殿[むらまつどの]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
殿 : [どの, との]
 【名詞】 1. (pol) person 2. Mister (mostly in addressing someone on an envelope) 3. Mr 

村松殿 : ウィキペディア日本語版
村松殿[むらまつどの]
村松殿(むらまつどの、永禄8年(1565年) - 寛永7年6月20日1630年7月29日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。小山田茂誠正室真田昌幸の長女〔柴辻俊六 著『人物叢書‐真田昌幸』吉川弘文館、1996年、p.81〕。子に小山田之知
== 生涯 ==
永禄8年(1565年)、真田昌幸の長女として誕生。母は山手殿(遠山氏とも)。名は於国。弟に信之(信幸)信繁(幸村)らがいる。
天正10年(1582年)以前に甲斐国都留郡の国衆・小山田氏の一門である小山田有誠の子・茂誠に嫁いだ(天正10年の武田氏滅亡時に之知は乳児であったと伝わる〔丸島2015、p.176〕)。この婚姻が縁で茂誠は後に昌幸の家臣となり、信之の家老となった〔。また、夫・茂誠が昌幸から小県郡村松(現在の青木村)を領地として与えられ、そこに住んでいたため、村松殿と呼ばれた〔。
なお、『加沢記』(江戸初期に沼田藩右筆の加沢平次左衛門が記した覚書)の記述によると、昌幸が織田信長に臣従した際の人質として安土城に送られ、本能寺の変直後に行方不明となるが2年後に桑名で保護されたという〔「四〇 信長公御生涯 附安土へ被遣候人質御娘子樣之事」 加沢記〕。村松殿が人質として安土へ送られたとする伝承について、丸島和洋は遠隔地での国衆(国人領主)の人質は現地で預かることが基本であり、極めて疑わしいとしている〔丸島2015、p.111〕。
長姉として、信之や信繁に敬愛されていたらしく、信繁が元和元年1月24日に彼女宛てに書いた手紙が残されている〔川口素生「真田一族人物事典」(小林計一郎編『決定版 真田幸村と真田一族のすべて』KADOKAWA、2015年)147頁〕。
寛永7年(1630年)6月、死去。法名は宝寿院殿残窓庭夢大姉〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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