翻訳と辞書
Words near each other
・ 村松高校
・ 村松高直
・ 村松高等学校
・ 村林いづみ
・ 村林一輝
・ 村林裕
・ 村枝賢一
・ 村椿村
・ 村椿玲子
・ 村椿輝雄
村橋久成
・ 村橋俊介
・ 村橋明郎
・ 村櫛村
・ 村櫛町
・ 村櫛舘山寺道路
・ 村正
・ 村正の妖刀
・ 村正みかど
・ 村正帝


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

村橋久成 : ミニ英和和英辞書
村橋久成[むらはしひさなり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [はし, きょう]
 【名詞】 1. bridge 

村橋久成 : ウィキペディア日本語版
村橋久成[むらはしひさなり]
村橋久成(むらはしひさなり、天保13年(1842年)〔犬塚(1974) p27によれば天保11年生。〕10月 - 明治25年(1892年)9月28日)は、幕末薩摩藩士、開拓使官吏。幼名・昇介。成人後、直衛、久成と名乗る。英国留学時の変名は橋直輔。
加治木島津家の分家に生まれ、薩摩藩第一次英国留学生の一人としてロンドンに留学、戊辰戦争では砲兵隊を率いて東北戦争箱館戦争に従軍する。維新後は開拓使に勤め、日本初の低温発酵ビールを製造した「開拓使麦酒醸造所サッポロビールの前身)」の設立に携わるが、突如退官した後、家族を捨て一人放浪し、最後は神戸で行旅死亡人として死去した。

== 生い立ち ==
天保13年(1842年)10月、薩摩藩御一門である加治木島津家の分家・村橋久柄(ひさえ)の嫡男として生まれる。村橋家は、加治木島津家第三代・島津久季の三男・久昌が村橋姓を名乗ったのにはじまる家〔家系は次の通り。 島津忠恒-(加治木島津家)忠朗久薫久季-(村橋家)久昌-久峯-久風=久峻-久柄-久成。西村(1998) p63-65〕で、藩内での家格は「寄合並」〔西村(1998) p62〕。嘉永元年(1848年)、父・久柄が琉球に赴任する途中で難破、行方不明となったため、6歳で村橋家の家督を継ぐ〔北海道産業の基礎を築いた薩摩人 蘇る、村橋久成〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「村橋久成」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.