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村田 元一(むらた げんいち、1938年4月10日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 明治高校では、夏の甲子園都予選準決勝に進出、早実高の王貞治投手と投げ合うが1-2で惜敗し、甲子園出場を逃す。早実には醍醐猛夫捕手、徳武定之三塁手がいた。 に国鉄スワローズに入団。速球と切れのあるシュートとスライダーを武器に、入団2年目から主力投手として活躍。には18勝をマークするなど、金田正一に次ぐ第2エースとして〔週刊ベースボールプラス6 1950-2011 わが愛しのスワローズ 国鉄から始まった栄光の軌跡、ベースボール・マガジン社、2011年、P23〕、長くスワローズの投手陣を支えた。コントロールの良さがあり、通算21無四球試合は歴代32位。さらに、1試合完投した場合の平均与四球数(与四球率)は1.49個で、これは通算2000投球回数以上の投手では、土橋正幸(1.21個)に次いで歴代2位の記録である。また、王貞治に第1号ホームランを打たれた投手としても知られ(第2号も打たれている)、さらに7月12日の対阪神タイガース戦(後楽園球場)では、9回2死までパーフェクトに抑えながら、27人目の打者西山和良の一塁への微妙な打球をヒットと判定され、惜しくも大記録を逃している。10月12日の対中日ドラゴンズ戦の完投勝利で通算100勝を達成。前日の広島カープ戦のリリーフ登板で99勝目を挙げた翌日の100勝到達であった〔他には1971年の佐々木宏一郎が10月3日に99勝目を挙げて、翌4日に100勝に到達した例がある。〕。のシーズン終了後に現役引退。 サンダル履きで球場に来たり、キャンプ地では自分で魚を七輪で焼いたり等、現役当時は「現代っ子」と言われた。 引退後はメディアの取材を拒否するなど日本プロ野球界とは一切絶縁している。実際、引退時にも野球用具やトロフィーなど野球に関する物品を全て廃棄し、球団に「名簿から名前を消してほしい」と訴えるなどした。 プロ野球界やマスメディアとは絶縁している一方で、現在は「財団法人全日本リトル野球協会 リトルシニア委員会 関東連盟」所属の少年野球(リトルシニア)チーム「東京日暮里シニア」の顧問・コーチを務めていた(現在記述なし)〔スタッフ一覧(プロ野球時代の情報あり) 〕〔スタッフ一覧(別サーバー内) 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村田元一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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