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村田 正志(むらた まさし、1904年9月23日 - 2009年6月26日)は、日本南北朝史専攻の歴史学者。三重県出身。 == 生涯 == 1904年、父の任地茨城県下妻で生れた。1924年3月三重県富田中学校(現・三重県立四日市高等学校)卒業、同年4月國學院大學予科入学。1929年3月國學院大學史学科卒業、同年4月東京帝国大学史料編纂所嘱託として入所、史料編纂所では『大日本史料』第六編・第七編の編纂に従事した。1942年史料編纂官補、1951年に「南朝歴代天皇御事蹟の研究」によって國學院大學から文学博士学位を授予。 1930年代に南北両朝の取扱について、史学界内外から圧力が起こり、『大日本史料』第六編二十九は、1939年以降から1951年まで刊行が中断された〔詳細は、『東京大学史料編纂所史史料集』(東京大学出版会、2002年復刻版) ISBN 4-13-092108-8 を参照。〕。1939年3月、村田は当時の同史料編纂所所長龍粛の需めに応じて、「大日本史料第六編編纂体裁改変に関する私見」を提出し、史実に基づいて両朝を併立に取扱うことが具申された。第六編刊行の一時中断は村田の意見を尊重した結果であった。第六編の出版再開後も第六編室長としてその完成に尽力する。 1954年制度改正によって東京大学助教授、1965年3月定年により退官。1966年4月国士舘大学文学部教授、1982年4月から1986年3月まで同大学客員教授。その間、1946年から1986年まで國學院大學文学部史学科兼任講師として古文書学を講じ、1955年から1966年まで東京薬科大学兼任講師を勤めた。 文化財専門調査会古文書部会長として古文書・古記録の保護に貢献され、その功によって勲三等瑞宝章授与。 2009年、肺炎により逝去、享年104〔元国士舘大学教授(中世史)の村田正志さん死去 (朝日新聞、2009年6月27日付)〕。 弟に同じく日本史学者の村田正言がいる(1943年11月、常徳で戦死)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村田正志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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