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村田 武雄(むらた たけお、1907年(明治40年)6月17日 - 1994年7月19日)は、日本の脚本家、映画監督。東京都品川区出身。 重宗務(東京発声映画製作所代表取締役社長)は義兄。 == 来歴 == 品川生まれ。日本大学文学部中退。 1934年4月1日、義兄の映画監督重宗務を頼り、日活多摩川撮影所に入社。「脚本部」に配属される。 1935年3月、義兄の重宗が「東京発声映画製作所(東京発声)」を設立し、所長となる。村田もこの「東京発声」に移籍、重宗務、阿部豊、豊田四郎の助監督を務める。 1937年、 村田の所属する「東京発声」が東宝映画と統合。 1940年、豊田監督の『大日向村』、『奥村五百子』のB班監督として、満州ロケを行う。その他、短編映画を何本か監督。 1941年、『大地に祈る』で映画監督に昇進。 1942年、「東京発声」が東宝に吸収され、村田も東宝へ移籍、戦時体制の中、助監督をしばらく務める。 この後、陸軍航空本部嘱託となり、南方前線で、飛行機の活躍状況の記録映画制作に従事。シンガポール、パレンバン、ジャワ等を歴訪する。戦地記録映画『大空の御盾』を制作するが、遺族への試写のみで未公開に終わる。 1944年、帰国。『加藤隼戦闘隊』(山本嘉次郎監督)で、山本から請われ、飛行機記録映画のシーンを劇中に提供する。 1953年、日本初の立体映画(トービジョン)、『飛び出した日曜日』 の脚本・監督を担当する。 1954年、日本初の怪獣映画『ゴジラ』(本多猪四郎監督)で、香山滋の検討台本を基に、本多と2人で脚本を共作。 1961年、テレビ映画『特別機動捜査隊』(NET)で脚本を担当。以後、テレビに活動の中心を移す。 1963年、円谷英二に請われ、設立したばかりの円谷特技プロダクションでテレビ特撮『WOO』の企画に参加する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村田武雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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