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村野 次郎(むらの じろう、1894年3月19日 - 1979年7月16日)は歌人。 == 経歴 == 東京府北多摩郡多摩村に生まれる。家業は江戸時代より続く酒問屋。詩人の村野四郎は弟。 多摩尋常小学校卒業後、府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)に入学。文学熱を憂慮した父の助言で早稲田実業学校へ転校、1913年、同校卒業。1919年、早稲田大学商学部卒業。 北原白秋に師事し、「朱欒」「地上巡礼」に参加〔村野が白秋を麻布坂下町(現・麻布十番)の「巡礼詩社」に訪ねたのは1914年であり、この時、白秋は29歳、村野は20歳であった。(千々和久幸 「解説」『樗風集』 短歌新聞社〈短歌新聞社文庫〉、2000年。)〕。1918年、白秋のもとを離れ、「秦皮(とねりこ)」を創刊。1923年、「香蘭」を創刊し、白秋を顧問に迎える。 1924年、白秋、前田夕暮、古泉千樫、土岐善麿が創刊した「日光」に参加。1932年、日本歌人協会を設立、評議員となる。 1935年、合議制で運営されてきた「香蘭」が合議制を解き、村野が主宰となる。この年、白秋が顧問を辞退〔白秋は、この年6月、新幽玄体を唱えて「多摩」を創刊する。〕。1938年、歌集『樗風集』を刊行。1944年、「香蘭」終刊、「香蘭」ほか3誌をもって「光」として創刊。 1948年3月、「香蘭」復刊。1957年、宮中歌会始の召人。1976年、『村野家の人びと』を刊行、1977年、歌集『明宝』を刊行。 1979年7月16日、肺炎のため死去。7月25日、東京都中野区の宝仙寺にて告別式。西多摩霊園に眠る。 没後、歌集『角筈』(1981年)、歌集『続樗風集』(1984年)、歌集『夕あかり』(1988年)、評論集『次郎歌話』(1990年)、歌集『村野次郎三百首』、言行録『次郎のことば』(1996年)が刊行される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村野次郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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