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杜の都[もりのみやこ]
杜の都(もりのみやこ)とは、宮城県仙台市の雅称および愛称である。「杜の都・仙台」として知られる。「杜」は常用漢字に含まれていない〔人名用漢字には含まれる。〕ため、ルビが振られたり、「杜(もり)の都」と表記されたりする場合もある。 2008年(平成20年)時点で発見されている文献による初出年は、仙台を「森の都」と記したのが1909年(明治42年)、「杜の都」と記したのが1916年(大正5年)である〔『「杜の都・仙台」の原風景 -樹木を育てた城下町-』(大崎八幡宮 仙台・江戸学 実行委員会)〕。1970年(昭和45年)9月22日に市が制定した「公害市民憲章〔公害市民憲章 (仙台市)〕」に「杜の都」と記されて以降、市は同表記を公文書における統一表記として用いている〔『流行歌「ミス・仙台」~郷土・仙台の近現代史散歩~』(著者:石澤友隆 著、発行所:河北新報出版センター、発行日:2005年11月1日 ISBN 4-87341-196-3) p.94-p.175〕〔(七十七ビジネス情報 2006年秋季号 2006年10月13日)〕。
== 「社」と「杜」と「森」 ==
木偏の「杜」の音読みは呉音で「ズ」(ヅ)、漢音で「ト」であり、中国古来の意味では山野に自生する落葉果樹(ヤマナシ、コリンゴなど)を指すことはあっても「もり」の意味はない。訓読みには「もり」「やまなし」「ふさ-ぐ」があるが、「もり」は国訓とされる〔(東京学芸大学紀要 2000年2月)〕。一方、示偏の「社」の訓読みには「やしろ」のほかに「もり〔万葉集の古写本や風土記において、「神社」あるいは「社」と書いて「もり」と訓読みする例がしばしば見られる。〕」もあったが、平安時代以降、示偏の「社」を「やしろ」、木偏の「杜」を「もり」と使い分けるようになった〔。このため、「杜(もり)」は神社の「鎮守の森」「ご神木」を意味するともされる。 しかし、「もり」という訓読みが共通する同訓異字の「森」と「杜」とは古くから混用されており、例えば鎌倉時代には地名であっても書き分けられていない〔。また、「杜の都」という表記の初発とみられている1916年(大正5年)発行の『仙台繁盛記』(富田広重 著)の中で、同じ著者が「森の都」と「杜の都」の両方を使用しているため、明治期に生まれた「森の都」という名称を、著者が意味の違いを意識して大正期に「杜の都」に書き換えたという説明も成り立たない〔。 1970年(昭和45年)に「公害市民憲章」を制定したのを機に、仙台を指す場合は「杜の都」が公式表記と定められた〔。これ以降、仙台市役所により「杜」と「森」とは意味が異なるとされ、「杜」は江戸時代から仙台の人々が植え育ててきた防風林・防火林・防雪林・防潮林・屋敷林・寺社林・里山・街路樹などの人工林を指し、それらが仙台の風土や歴史に立脚しているという説明がなされてきた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杜の都」の詳細全文を読む
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