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杜建時 : ウィキペディア日本語版
杜建時[と けんじ]

杜 建時(と けんじ、、1907年5月28日光緒33年4月17日)〔徐主編(2007)、421頁による。劉国銘主編(2005)、796頁は、1904年(光緒30年)生まれとする。〕 - 1989年11月7日)は、中華民国の軍人、中華人民共和国の政治家。際平
== 事績 ==

=== 軍事・外交での貢献 ===
1918年民国7年)天津南開中学に入学し、1922年(民国11年)、北京勵志中学に転入した。〔劉国銘主編(2005)、796頁は北京大学予科での学歴もあるとしている。〕1926年(民国15年)から軍人の道に転じて東北軍に加入、砲兵教導団で昇進を重ねている。1927年(民国16年)、東北陸軍講武堂第7期に入学し、〔劉国銘主編(2005)、796頁は東北陸軍講武堂「北平分校」で学んだとしている。〕翌1928年(民国17年)秋に卒業した。1932年(民国21年)、南京の陸軍大学第10期に入学し、1935年(民国24年)4月に卒業している。同年12月からは陸軍大学兵学教官に就任し、翌1936年(民国25年)5月には砲兵中校となる。同年秋、アメリカに留学してカンザス州アメリカ陸軍指揮幕僚大学に入学した。その後、カリフォルニア大学国際関係論を学び、法学博士号を取得した。〔徐主編(2007)、421頁。〕〔劉国銘主編(2005)、796頁。〕
日中戦争(抗日戦争)勃発後の1939年(民国28年)に杜建時は帰国し、国民政府軍事委員会第9戦区副参謀長と中央陸軍軍官学校長沙分校主任に就任した。1941年(民国30年)、陸軍大学教務処副処長となり、まもなく処長に昇格している。1942年(民国31年)、国民政府軍事委員会国防研究院副主任となり、翌1943年(民国32年)4月、中国国民党中央訓練団教育委員会委員となる。同年11月にはカイロ会談に出席する蒋介石に随従、その翌月に参軍となった。直後に連合国東南アジア軍副最高司令官ジョセフ・スティルウェルが訪中すると、蒋介石から杜が随従通訳に任命され、様々な連合国軍首脳会談に出席している。1945年(民国34年)3月には陸軍少将に昇進、翌月には中国代表団の一員としてサンフランシスコ会議に出席した。〔〔

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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