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杜滿萊 ( リダイレクト:ミルコ・デムーロ ) : ウィキペディア日本語版
ミルコ・デムーロ

ミルコ・デムーロMirco Demuro1979年1月11日 - )は、イタリア生まれの日本中央競馬会 (JRA) 所属の騎手
2015年3月1日よりJRA所属騎手として騎乗しており、それ以前は短期免許制度を利用して来日して騎乗していた。
香港における名前の中文表記は「杜滿萊」。京都府京都市在住〔「Sports Graphic Number」288号記事内〕。
妹のパメラ・デムーロは元騎手で後に調教師に転身。弟のクリスチャン・デムーロもイタリアの騎手〔【JC】デムーロ、今回はチャンス薄い!?(競馬) - スポニチ Sponichi Annex ニュース 2010年11月26日閲覧〕であり、2011年から短期免許で来日し、2011年は船橋を拠点に地方競馬である南関東競馬で、2012年以降は中央競馬で騎乗している。
== 来歴 ==
1994年に騎手免許を取得し、1995年にイタリアの見習騎手リーディングに輝く。1997年から2000年までは4年連続でイタリアのリーディングジョッキーとなる。
日本には1999年に初来日。騎乗センスは非常に評判が良く日本の関係者の信頼も厚い。2001年2月3日小倉競馬場では1日5勝を記録。これは外国人騎手としてJRA初のことである〔「競馬ニホン」の中央競馬情報サービス 2010年10月31日閲覧〕。翌日の2月4日には小倉大賞典に勝ち、重賞初制覇を達成した。
2003年4月20日皐月賞ネオユニヴァースで制し日本のGI初制覇。続く6月1日東京優駿(日本ダービー)でもネオユニヴァースに騎乗し外国人騎手としては初となる東京優駿制覇を達成、1番人気に応えて快勝したネオユニヴァースを祝福する大観衆を目にして「イタリアのダービー(デルビーイタリアーノ)を5回勝つよりも、日本のダービーを1度勝つ方が嬉しい」と感激の涙を流した。
二冠を達成し、三冠達成の期待がかけられたネオユニヴァースであったが、当時の日本の短期免許制度では三冠目の菊花賞にはミルコは騎乗できない状態となっていた。これは日本の短期免許では年間3ヶ月しか騎乗できず、ミルコは春だけで3ヶ月分を使い果たしていたためである。しかしこの事態を受けてJRAが新しく「同一馬で1年間にGIを2勝以上すれば、その馬が同年にGIに参戦する際に騎乗を認める」という規定を設けたため、ミルコは菊花賞に騎乗することが可能となった。だが菊花賞では3着に敗れ、三冠達成はならなかった。
2004年4月18日、皐月賞をダイワメジャーで勝利し、外国人騎手初の連覇を達成する。
2007年11月24日京都競馬場で、外国人騎手としての最多タイとなる1日5勝を再び記録。12月2日中日新聞杯ではサンライズマックスに騎乗して勝利したが、決勝線手前で飛行機ポーズを披露し制裁を受ける珍事を起こした。
2008年11月29日より短期免許を取得したが、その翌日11月30日ジャパンカップではスクリーンヒーローに騎乗し同レース初制覇を飾る。なおこの時もゴール後のウイニングランで飛行機ポーズを披露していた。
2009年12月28日より翌2010年1月27日までNARで短期免許を取得した。この時は船橋の川島正行厩舎に所属した。なおミルコはこれより以前にも2度NARの短期免許を取得していた〔ミルコ・デムーロ騎手に短期騎手免許を交付 - 地方競馬全国協会公式サイト 〕。
2011年3月26日、ネオユニヴァースの子のヴィクトワールピサドバイワールドカップを優勝。ドバイワールドカップ初騎乗初勝利を果たすと共に、日本馬にとっての同レース初勝利をもたらした。日本・イタリア以外では初のビッグタイトルと言え、ミルコ自身も「ジャパンカップもイタリアダービーも勝っているけど、これがベストレース」と語った〔【ドバイWC】ヴィクト世界一!日本に勇気(2/2ページ) - 競馬 - SANSPO.COM 2011年3月28日閲覧〕。
2012年3月18日阪神競馬第10・11競走と、4月7日の阪神競馬第2競走から第11競走にかけて、JRAタイ記録となる騎乗機会9連続連対を達成した〔ミルコ・デムーロ騎手、JRAタイ記録の9連続連対 | News | 競馬実況web | ラジオNIKKEI 2012年4月7日閲覧〕〔なお、3月24日から4月1日までは、開催日4日間の騎乗停止処分を受けていた。〕。10月28日、天覧競馬として行われた天皇賞(秋)エイシンフラッシュで優勝。ウイニングランを終えた直後、メインスタンド前の馬場で下馬し、天皇皇后両陛下に対し跪座の形で最敬礼を行った〔閃光復活エイシンフラッシュ! 殊勲ミルコ、両陛下に最敬礼=天皇賞・秋 - スポーツナビ 2015年1月2日閲覧〕〔天皇皇后両陛下へ最敬礼するM.デムーロ騎手 〕。なお、この最敬礼は後検量前の下馬ということで審議対象〔日本中央競馬会競馬施行規程第8章第106条3、第120条 - JRAホームページ JRA関連法令等 〕となったが、不問となった〔レース後跪いて両陛下に最敬礼 ミルコ・デムーロ「日本人より日本人らしい」 - J-CASTニュース 2012年11月2日閲覧〕。
2013年10月には、日本での通年騎乗を目指してJRAの騎手免許試験を受験、外国人騎手によるJRAの騎手試験受験第1号となった〔デムーロがJRA騎手免許1次試験を受験 - 日刊スポーツ・2013年10月2日〕。しかし結果は不合格だった〔ミルコ・デムーロ、騎手免許一次試験不合格に - サンケイスポーツ・2013年10月17日〕。この免許試験にはオーストラリアで活躍している藤井勘一郎も受験したがやはり不合格となっている。
2014年1月より、香港ジョッキークラブの所属騎手として騎乗する事になり〔免許期間は、2014年1月11日から2014年3月5日まで。〕、香港に渡った。1月11日より騎乗開始し、3戦目のレースで14頭中12番人気の馬で所属騎手としての初勝利を挙げ、単勝式で380香港ドルという大穴を提供した。また1月19日には、「董事盃」(HKG1)を4番人気の「將男(Blazing Speed)」で勝利し、香港重賞初制覇を飾った。
2015年1月、JRAの騎手免許試験を再度受験し今回は合格した〔2015年度 調教師・騎手免許試験合格者 - 日本中央競馬会・2015年2月5日〕。これにより同時に合格したクリストフ・ルメールと共に外国人として初めてJRAの通年免許を取得した〔M・デムーロ、ルメールが合格 外国人初、JRA騎手免許試験 - スポニチアネックス・2015年2月5日〕。同年3月1日より、JRA通年免許の騎手として騎乗を開始した(このとき、ルメールは騎乗停止のため同時デビューとはならなかった)。当日は早速に阪急杯を勝利し、初日でいきなりの重賞制覇を飾った(後にルメールも騎乗停止明けで実質のデビュー週となった同年4月5日に大阪杯を勝利、いきなりの重賞制覇となっている)。
2016年2月に騎乗機会の重賞5連勝とJRA500勝を同時に果たした〔2冠馬ドゥラメンテが復帰戦V! デムーロ500勝&重賞5連勝!/中山記念 netkeiba.com 2016年2月28日 17時02分〕。(京都記念京都牝馬ステークスフェブラリーステークスアーリントンカップおよび中山記念)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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