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杜銓[と せん] 杜銓(と せん、生没年不詳)は、北魏の人物。字は士衡。本貫は京兆郡。西晋の征南将軍杜預の5世の孫にあたる。 == 経歴 == 後燕の秘書監杜嶷の子として生まれた。趙郡に居住し、学問で身を立てて、盧玄や高允らとともに北魏に登用されて中書博士となった。明元密杜皇后の父の杜豹が濮陽で亡くなると、太武帝は鄴で葬儀をおこなわせるべく、司徒の崔浩に天下の杜氏のうちで名望の高いものを訊ねると、崔浩は京兆の杜氏であると答えた。太武帝が京兆の杜氏の長老1人に杜豹の葬儀のための宗正をつとめさせようと人選を求めると、崔浩は杜氏の最上位として杜銓を推薦した。このため杜銓は召し出されて、宗正となり、陽平王杜超の子の杜道生とともに杜豹の柩を迎え、鄴の南に葬った。このため杜銓は杜超と肉親同様につきあうようになり、杜超の勧めを受けて趙郡から魏郡に住居を移した。散騎侍郎となり、中書侍郎に転じ、新豊侯の爵位を受けた。死去すると、平南将軍・相州刺史の位を追贈され、魏県侯に追封された。諡は宣といった。 子の杜振は、字を季元といい、中書博士となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杜銓」の詳細全文を読む
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