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杜 錫鈞(と しゃくきん)は中華民国の軍人。北京政府、直隷派の軍人。後に南京国民政府(汪兆銘政権)に参加した。字は鴻賓。 == 事績 == 初めは湖北新軍に加入する。後に日本への留学を許可され、陸軍士官学校第4期を卒業した。帰国後は、湖北省の新軍第8鎮で管帯、第2協統領を歴任している〔徐主編(2007)、426頁。〕。 辛亥革命勃発後は革命派に加わり、湖北軍政府軍令部部長、北伐軍第1軍総司令官に任命された。1912年(民国元年)、湖北第4師師長・陸軍中将となった。翌年1月、漢口鎮守使となる。1915年(民国4年)12月、袁世凱の皇帝即位とともに、一等男に封じられた。1920年(民国9年)、漢黄鎮守使に任ぜられる。1926年(民国15年)2月、呉佩孚により湖北省省長に任命されかけたが、反対に遭い、取り止めとなった。杜錫鈞は結局、留守軍司令に任ぜられた。呉が失脚すると、杜も下野し、天津に隠居している〔。 1940年(民国29年)3月、杜錫鈞は汪兆銘(汪精衛)の南京国民政府に参加し、華北政務委員会治安総署署長に任ぜられた。1943年(民国32年)3月1日 、河北省長を兼任する〔「北支省長更迭 現役将軍を任命」『朝日新聞』(東京)昭和18年(1943年)3月3日、2面。〕。11月、華北政務委員会の改組に伴い、綏靖総署署長に異動している。1944年(民国33年)、華北政務委員会常務委員となった。1945年(民国34年)2月、河北省省長を、3月、綏靖総署署長をそれぞれ離任し、華北政務委員会常務委員のみをつとめる〔。 日本敗北後、杜錫鈞は蒋介石の国民政府に逮捕されたものの、まもなく釈放されている。しかし中華人民共和国が成立した頃に再び逮捕され、1951年8月に北京市で処刑された。享年70〔『人民日報』1951年8月25日、第5版。〕〔徐主編(2007)、426頁は、1945年に処刑されたとしているが、誤りと思われる。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杜錫鈞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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