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杜驥[と き] 杜驥(と き、387年 - 450年)は、東晋から南朝宋にかけての官僚・軍人。字は度世。本貫は京兆郡杜陵県。 == 経歴 == 晋の征南将軍杜預の玄孫にあたる。417年(義熙13年)、桂陽公劉義真が長安に入ると、杜驥は雍州主簿として召された。422年(永初3年)、劉義真の下で車騎行参軍となり、員外散騎侍郎の位を受けた。元嘉初年、江夏王劉義恭の下で撫軍刑獄参軍となった。尚書都官郎に転じ、長沙王劉義欣の下で後軍録事参軍をつとめた。 430年(元嘉7年)、到彦之の北伐に従軍し、建武将軍の号を受けた。洛陽の守備を命じられたが、糧食の不足に苦しみ、到彦之が敗退すると、杜驥も撤退を図った。敗戦の罪を着せられることを恐れて、姚聳夫を騙して洛陽に入らせ、洛陽失陥の責任を姚聳夫に押しつけた。 後に通直郎・射声校尉となった。439年(元嘉16年)、武陵王劉駿の下で征虜諮議参軍となった。440年(元嘉17年)、督青冀二州徐州之東莞東安二郡諸軍事・寧遠将軍・青冀二州刺史に任じられ、善政で知られた。447年(元嘉24年)、建康に召還されて左軍将軍となり、兄の杜坦が代わって青冀二州刺史となった。450年(元嘉27年)、死去した。享年は64。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杜驥」の詳細全文を読む
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