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杜 鴻漸(と こうぜん、708年 - 769年)は中国唐代の政治家。字は之巽で濮陽の出身。 仏教を信仰し、死に臨んでは儒教の伝統である土葬をせずに、火葬を選択した。 == 略歴 == *708年 濮陽に生まれる *科挙に合格して延王府の参軍となる *朔方判官に異動 *756年 安史の乱が起き、魏少游らと共に朔方軍を率いて皇太子李亨(後の粛宗)に加勢 *粛宗を即位させ、兵部郎中、中書舎人となる *武部侍郎、河西節度使、荊南節度使を歴任 *759年 襄州で反乱が起き、長安へ退避 *尚書右丞、太常卿に転任。陵墓整備の功績で衛国公となる *764年 兵部侍郎、中書門下平章事(宰相)となり、中書侍郎に昇格 *765年 蜀で反乱が起き、成都尹、山南西道剣南東川副元帥、剣南西川節度副使となり、反乱軍を説得して混乱を収拾 *769年 門下侍郎、東都留守、河南淮西山南東道副元帥となるが、病気で辞退し、その後、亡くなる。太尉を追贈される 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「杜鴻漸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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