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条約改正日誌(じょうやくかいせいにっし)とは、明治時代、外務大臣として条約改正に尽力した大隈重信の秘書官だった加藤高明の記した日誌。 == 概要 == 大隈重信は井上馨外相辞任後の第1次伊藤内閣の外相、つづいて黒田内閣の外務大臣に任じられ、とくに首相黒田清隆からは条約改正交渉を一任されていた。 「条約改正日誌」は、大隈外相の秘書官兼政務課長として改正条約案の立案や外国公使との会見交渉にあたった加藤高明(1860年-1926年)が自らの活動を記した日誌であり〔遠山(1979)p.602〕、黒田内閣成立後の1888年(明治21年)11月26日から大隈重信遭難事件〔大隈の条約改正案と1889年2月11日に発布された大日本帝国憲法との間に齟齬が生じたため、政府部内においても条約改正断行派と中断派の対立が生じ、大審院への外国人判事任用については国民からの反対の声も多かった。1889年10月18日、閣議からの帰途、馬車に乗っていた大隈重信が、東京外務省の外相官邸に入る門前で、大隈改正案に反対する福岡玄洋社前社員の来島恒喜から爆裂弾を投げつけられ右脚切断を要する重傷を負った。これが大隈遭難事件である。なお、犯人の来島は爆弾投下直後、皇居にむかって割腹自殺している。〕のあった1889年(明治22年)10月18日までについて記録されている〔〔「条約改正日誌」外務大臣秘書官加藤高明 (早稲田大学図書館)〕。大隈外相時代の条約改正交渉の詳細が知られる重要な史料である。 自筆本が『大隈文書』に収載されており、「大隈外務大臣書翰案」を附している〔。早稲田大学所蔵。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「条約改正日誌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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