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来目 塩籠(くめ の しおこ〔旧仮名遣いでの読みは「くめのしほこ」〕、生年不明 - 天武天皇元年7月(672年))は、日本の飛鳥時代の人物である。姓は臣。 来目氏(来目臣)は蘇我氏族に属する皇別氏族。塩籠を蘇我稲目の孫である久米薬子の子とする系図がある〔中田憲信『皇胤志』(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)〕。 672年に壬申の乱の勃発後、大友皇子(弘文天皇)側・大海人皇子(天武天皇)側の双方が兵力を興す中で、河内国は大友皇子側に属し、大海人皇子側についた倭(大和)の大伴吹負と勢力圏を接した。河内国に集まった軍の指揮は壱伎韓国が執った。韓国の軍は、おそらく7月3日に吹負が派遣した敵を破った。このとき河内国司守の来目臣塩籠は、大海人皇子側につこうとして軍を集めていた。そこに来た韓国は密かに塩籠の計画を聞いて、殺そうとした。事が漏れたことを知って塩籠は自殺した。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「来目塩籠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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