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東トルキスタン独立運動(ひがしとるきすたんどくりつうんどう)は、中華人民共和国の新疆ウイグル自治区における、ウイグル人、カザフ人、キルギス人等のテュルク系民族の独立運動。 == 概要 == 元々、東トルキスタンが新疆と呼称されたのは、大清帝国の時代に遡る。その後、幾多の民族同士の摩擦を経験しながら、1912年の辛亥革命により建国された中華民国に於いて、新疆省が置かれていた。 1949年、中国共産党は、新疆の接収を行うために、鄧力群を派遣し、イリ政府との交渉を行った。毛沢東は、イリ政府に書簡を送り、イリの首脳陣を北京の政治協商会議に招いた。しかし、8月27日、北京に向かったイリ首脳陣の乗った飛行機はソ連領内で消息を断ち(現在も原因不明)、首脳を失ったイリ政府は混乱に陥った。 残されたイリ政府幹部のセイプディン・エズィズィが、急遽政治協商会議に赴き、共産党への服属を表明した。9月26日にはブルハン・シャヒディら新疆省政府幹部も、国民政府との関係を断ち共産党政府に服属することを表明した。12月までに人民解放軍が新疆全域に展開し、東トルキスタンは完全に中華人民共和国に統合された(ウイグル侵攻)。1955年には民族区域自治の適用を受けて新疆ウイグル自治区となった。 また中華民国政府は、現在も新疆省を呼称しており、共産党の統治を認めておらず、中共の政策を批判している。 こうした不満を背景に、中国内外の運動組織が、テュルク系住民の中国からの分離独立を主張しており、中国統治の枠内での民族自治の拡大や、人権状況の改善を目指す活動と合わせて広義の独立運動として言及されることが多い。 これに対して、中国政府は、 西部大開発に象徴される大規模な経済的梃入れを新疆に実施し、住民の生活水準を向上させることで独立機運の沈静化を図る一方、分離主義に結びつくものとして、民族主義を鼓吹する動向に対しては過剰ともとれる厳しい取締りを実施している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東トルキスタン独立運動」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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