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ドイツテレビジョン放送(どいつてれびじょんほうそう、, )とは、ドイツ民主共和国国営のテレビ放送局である。 == 概要 == 1952年12月21日、ヨシフ・スターリンの誕生日に一般放送が開始され、当時は占領国・ソビエト連邦の強い意向の働いた放送を行っていた。1956年に「ドイツテレビジョン放送」として放送を開始した。当初は西ドイツを含めたドイツ全土に向けて放送を行う意図があったためこの名称を使用していたが、1972年に「ドイツ民主共和国テレビ放送」()と改名した〔伸井太一 『ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品』 (社会評論社〈共産趣味インターナショナル VOL2〉2009年)P96〕。 同局は2つのチャンネルを使って放送を行っていた〔 サイマル出版会編 協力:パノラマDDR(東ドイツ対外出版公社)とライゼビューロー(東ドイツ国営旅行公社)『行ってみたい東ドイツ』(1983年 サイマル出版会)P268〕。代表的な番組はという報道番組であったが、社会主義国の国営放送らしく、社会主義の明るく成功した部分だけを放送するプロパガンダ的要素の強いものであった〔仲井斌『もうひとつのドイツ』(1983年 朝日新聞社)P80-81〕。また、西ドイツのスキャンダルや殺人事件などを誇張して伝える「黒いチャンネル」()というプロパガンダ番組があり、これは学校での視聴が義務付けられていた〔伸井太一 『ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品』P98〕。 東ドイツの多くの地域では西ドイツのARDやZDF等のテレビ電波がスピルオーバーしていたため、大半の東ドイツ国民は経済や社会の実態とかけ離れ、政治宣伝色の強い東ドイツの報道番組を信用せず、当局の監視から隠れて西側の放送を見ていた〔伸井太一 『ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品』P96-97 および 仲井斌『もうひとつのドイツ』P82-83〕。 東欧民主化のうねりの中で1989年10月に強権的なエーリッヒ・ホーネッカーSED書記長が失脚すると、10月30日には「これまでの報道の仕方は誤りだった」と謝罪し、報道方針を改めた〔永井清彦。南塚信吾・NHK取材班『社会主義の20世紀 第1巻』(日本放送出版協会 1990年)P101〕。 東西ドイツ統一後同局は解散し、各地に設立された公共放送(ARD加盟)へと再編・移管された。西ベルリンで放送を行っていた「自由ベルリン放送」(SFB)がベルリン全域を担当するようになったほか、ブランデンブルク州には「ブランデンブルク・東部ドイツ放送」(ORB)が、ザクセン州・ザクセン=アンハルト州・テューリンゲン州には「中部ドイツ放送」(mdr)が設立された。メクレンブルク=フォアポンメルン州は北ドイツ放送(NDR)のエリアとなった。その後、2003年にはSFBとORBが合併し「ベルリン・ブランデンブルク放送」(rbb)が誕生している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ドイツテレビジョン放送」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Deutscher Fernsehfunk 」があります。 スポンサード リンク
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