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東三河司頭 : ミニ英和和英辞書
東三河司頭[ひがしみかわしとう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [み]
  1. (num) three 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [あたま, とう]
 【名詞】 1. counter for large animals 

東三河司頭 : ウィキペディア日本語版
東三河司頭[ひがしみかわしとう]
東三河司頭(ひがしみかわしとう)は、軍記物の『牛窪記』に初出の戦国時代東三河地方に存在し同地方の牛窪を拠点とした有力土豪を指す用語。戦国時代当時の用語ではない。今川氏の役職にも、その名前は見えないことから、『牛窪記』の著者の造語の可能性がある。
== 概要 ==
『牛窪記』の前段に「その頃は当国并びに駿州・遠州の三国は今川氏輝公の下知である。そういう訳で、牧野・岩瀬・野瀬・真木・山本・稲垣・牧等の人々を、東三河の司頭と定めた」(原文現代語訳)という内容がある。
しかし、今川氏輝が当主であった時代は、西三河の松平清康が当主であった時代と重なっており、同じ三河国内で最大の勢力である松平氏の勢威が、東三河に一時的にも及んでいた時代に、牧野氏等が、今川氏配下で東三河の司頭であったかは疑問。
すなわち、同時代文書にはこの用語の使用例は見あたらず、実際に戦国大名今川氏がこの職名を分国内で使用していたかは確認ができない。
また、同じ『牛窪記』でも「牛久保六騎」や「牛久保六人の衆」という用語が今川義元の記述のあたりから散見され、逆にこの用語「東三河司頭」は使われなくなっている。
東三河司頭の勢力範囲については、牧野・岩瀬・野瀬・真木・山本・稲垣・牧などの人々が、今川氏の東三河の進出の拠点となったとする意味で、実際に東三河全域の覇権を握っていたわけではない。
*出典『牛窪記』(三河文献集成・近世編、近藤恒次編、国書刊行会)


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東三河司頭」の詳細全文を読む




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