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東久邇 信彦(ひがしくに のぶひこ、1945年(昭和20年)3月10日 - )は、日本の元皇族。盛厚王第一子。東久邇家現当主。皇籍信彦王、身位は王、敬称は殿下。 ==略歴== 盛厚王と成子内親王の長男。出産時は東京大空襲の最中であり、自宅の防空壕の中での誕生となった。昭和天皇・香淳皇后の初孫でもあった。1947年(昭和22年)10月14日、祖父・東久邇宮稔彦王が皇族の身分を離脱したため、信彦王も皇室典範(昭和22年法律第3号)第13条により皇籍離脱した(昭和22年宮内府告示第16号)。当時まだ2歳であった。 皇籍離脱後は、東久邇信彦を名乗り、民間人として生活。慶應義塾幼稚舎から慶應義塾で学び、慶應義塾大学法学部卒業後は三井銀行に勤務。財団法人日本タイ協会役員・常務理事、かをり会会員などの要職を歴任した。2008年(平成20年)6月、全日本野球会議名誉会長に就任。2009年(平成21年)7月、日米友好の架け橋実行委員会名誉顧問就任。崇敬会「東郷会」の名誉会長、日本の伝統を守る会〔日本の伝統を守る会 〕の名誉会長も務める。 私生活では、1972年(昭和47年)6月に、島田吉子と結婚。島田家は横浜で不動産管理業(アパート・駐車場経営)を営む庶民であるが、昭和天皇は、島田家の家庭的な様子に好感を持ち、信彦の結婚を祝福した〔1972年6月13日 朝日新聞「陛下の初孫ゴールイン 東久邇信彦氏と吉子さん」〕。夫妻には、翌年に男児が誕生した。 新潟県長岡市に2009年(平成21年)8月3日、名誉顧問に東久邇信彦、顧問に山本五十六の長男の山本義正、経団連元会長の今井敬・新日鉄相談役名誉会長らが名を連ねる「日米友好の架け橋実行委員会」(会長・森民夫市長)が発足した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東久邇信彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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