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東二見車両基地 : ミニ英和和英辞書
東二見車両基地[ひがしふたみしゃりょうきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [に]
  1. (num) two 
二見 : [ふたみ]
  1. (adj-no) forked (road, river) 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 
車両 : [しゃりょう]
 【名詞】 1. (1) rolling stock 2. railroad cars 3. vehicles 
: [き, もとい]
 【名詞】 1. basis 
基地 : [きち]
 【名詞】 1. base 
: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 

東二見車両基地 : ウィキペディア日本語版
東二見車両基地[ひがしふたみしゃりょうきち]
東二見車両基地(ひがしふたみしゃりょうきち)は、兵庫県明石市に所在し、山陽電気鉄道の保有する車両基地。車両工場と車庫を併設する。
== 建設経緯 ==
第二次世界大戦前の兵庫電気軌道神戸姫路電気鉄道を統合した宇治川電気電鉄部時代以来、山陽電気鉄道では明石を境にして架線電圧・建築限界などの地上設備規格が大きく異なっていたことから、架線電圧が直流600Vであった旧兵庫電気軌道の施設・車両を承継した西代検車庫(西代車庫。後に西代検車区へ改称)と西代車両工場、架線電圧が直流1,500Vであった旧神戸姫路電気鉄道の施設を承継し、統合後在籍車が全線対応の複電圧車へ更新されて宇治川電気→山陽電気鉄道の主力車庫・主力工場の役割を果たすようになった明石検車庫(明石車庫)と明石車両工場に加え、宇治川電気時代の1930年に開設、1940年10月の網干線飾磨 - 夢前川間開業に併せて移転・拡充された飾磨検車庫(飾磨車庫。後に飾磨検車区へ改称)を合わせた2車両工場3車庫体制で推移してきた。
しかし、元々軌道条例準拠の典型的な路面電車として出発した旧兵庫電気軌道の施設に由来する西代車両工場はそれ故に設備が貧弱、かつ小型車前提の施設であったため手狭で、さらに神戸市外縁の都市部に位置したことから拡充も困難であった。このため、1948年3月1日の山陽電気鉄道線全線の架線電圧が直流1,500Vへ昇圧され、その時点で残存していた直流600V区間専用車両が同年9月20日付で全車廃車となったことなどから、西代車両工場の閉鎖と同工場設備の明石車両工場への移転・統合が決定され〔新造間もない特急用ロマンスカー2編成4両(800形825・826および850形854・855)を含む14両が被災し、ようやく戦災の被害から立ち直りつつあった山陽電気鉄道に深刻な悪影響を及ぼした西代車庫の火災は翌1951年9月7日に発生しており、工場施設は移転済みであったため被災していない。〕、1949年5月1日に山陽電気鉄道の車両工場は明石車両工場のみとなった。
もっとも、西新町駅に隣接して設置されていたこの明石車庫・明石車両工場は、本格的な都市間高速電気鉄道(インターアーバン)として計画・建設された神戸姫路電気鉄道(地方鉄道法準拠)の車両基地として、将来的な明石以東への高規格路線建設〔別会社の神明急行電鉄として1920年1月に湊川 ― 明石間の地方鉄道免許を出願、取得している。〕を睨んで建設されたものであったことから工場統合時点での在籍車両数には対応できたものの、用地面では決して十分な広さを備えているとは言い難かった。また、戦時中の空襲で工場施設が大きな被害を受けたことなどから設備面でも難があり、さらに西代車庫・西代車両工場と同様に市街地に立地していたことから、将来的な用地拡張も困難な状況にあった。
そのような状況下で1950年代後半以降、神戸高速鉄道の建設計画が具体化してくると、その開業に伴い必要となる車両の大量増備〔1968年の神戸高速鉄道開業に際しては19m級の3000系が1964年に6両、1967年から1968年にかけて33両新造され、在来車も1958年以降、神戸高速鉄道の開業までに合計58両が15m300形)・17m((250形270番台)・19m(2700系)級全金属製車体をそれぞれ川崎車輛で新造、これに既存の機器を整備の上で艤装する車体更新工事が実施されている。特に在来車の車体更新は、旧車体からの機器取り外しと川崎車輛への発送、抜け殻となった旧車体の解体、川崎車輛から納入された更新車の受け入れ検査と試運転、など通常の検査業務の合間を縫って膨大な作業工数と作業スペースを要求され、1950年代末以降、明石車庫および明石車両工場は能力の限界を迎えつつあった。なお、300形1次車の300 - 305についてはコスト削減のために構体を川崎車輛から購入、明石車両工場で艤装が実施されたが、これは明石車両工場に大変な負担となり車両の竣工も遅れたことから、以後は川崎車輛に機器を送付して艤装も同社で実施する方式に切り替えられている。〕に対応する必要があったことから、明石車庫の収容力も明石車両工場の設備も共に大幅な拡充・近代化が求められるようになった。
そこで、1950年代中盤から限界に達しつつあった明石車庫と明石車両工場の移転が計画された。山陽電気鉄道は神戸高速鉄道開業後の山陽電気鉄道本線(西代 - 電鉄姫路間54.7km)のほぼ中間地点〔西代起点27.3km。〕にあたる東二見駅北西の田園地帯に用地を求め、まず1966年7月5日に車庫機能が明石検車庫から移転、同時開設の東二見列車区事務所と共に山陽電気鉄道の新たな中枢施設の一つとして稼働を開始した。
これに続いて神戸高速鉄道が開業し、これに伴う車両の車体更新や新造が一段落ついた1968年5月25日に、近代的施設を備えた東二見車両工場が稼働を開始、神戸姫路電気鉄道創業以来の明石車両工場は廃止された〔明石車両工場の跡地は保線基地に転用された。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東二見車両基地」の詳細全文を読む




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