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東亜新秩序(とうあしんちつじょ)は、昭和13年(1938年)11月3日及び同年12月22日に、時の内閣総理大臣近衛文麿(第1次近衛内閣)が発表した声明。反共主義によるもの(抗日容共な国民党政府の否定、大日本帝国・満州国・中華民国3カ国の連帯による共同防共の達成)と、汎アジア主義によるもの(東洋文化の道徳仁義に基づく「東亜に於ける国際正義の確立」、東洋古来の精神文化と西洋近代の物質文化を融合した「新文化の創造」〔大陸建設の課題 宮本武之輔 1941年12月〕)の両方を含む。ただし、東洋文化については日本文化をますます醇化発展させ、中国文化その他に新生命を吹き込んで更生再建させる所に「新文化の創造」の要諦があるとされた〔内閣情報部編輯 週報 五月三日号 内閣情報部 1939年5月3日〕。当時中国の人々は、徳に対する受感性は特に大きいものの、面子においては俠義を尊び、実践においては事大主義を尊び、まことに言行が不一致であり、官吏においてはピンハネや賄賂が横行していたとされる〔支那習俗 太田陸郎 1943年〕。また、中国の学生は、予備教育を受けずに正味の学問へと進みたがり、政治運動に時間を浪費し、学問の精神が培われず、そのため自然科学が興らないでいた〔芸林間歩 - 支那青年と自然科学 太田正雄(木下杢太郎) 1936年6月10日〕。 == 前史 == 1923年、中華民国の鉄道において臨城事件が起こり、多数の英米人が被害を受けたため、英米を中心に列強による中華民国の鉄道警備管理共同案が議論された〔ソヴィエト露国の極東進出 斎藤良衛 1931年8月15日〕。また、中華民国の内政全ての共同管理案も議論されていた〔最近支那国際関係 斎藤良衛 1931年11月4日〕。この共同管理案の勝手な議論は中華民国革命政府側の反発を招き、中華民国革命政府はソ連へと近づいた。 1924年、孫文は、大アジア主義講演に於いて、西洋文化を取り入れながらも、東洋の王道、道徳仁義および国家的道徳により、西洋の覇道に対抗することを主張した〔大アジア主義 (1〜4) 神戸高女にて 孫文氏演説 戴天仇氏通訳 大阪毎日新聞 1924年12月3日~1924年1月6日〕。また、孫文は、東の日本及び西のトルコを、「亜細亜の最も信頼すべき番兵である」と評価した〔。ただし、革命に始まる孫文が協力者の赤露を評価していた〔のと異なり、尊王論に始まる近代日本はロシア内戦の頃より赤露を敵視していた (反共主義)。 孫文の死後、蒋介石は反共主義方針を取り、国共内戦へと突入させた。その後、蒋介石は中ソ紛争を行うが、ソ連に敗北してしまい、ソ連とハバロフスク議定書を結んでしまう。1932年、日本は東三省に於いて王道政治を掲げる満州国を誕生させた。 1933年5月、ソ連のトロツキストと繋がりを持つとされる元ドイツ参謀のハンス・フォン・ゼークト〔反ソヴィエト「右翼トロッキー派ブロック」の公判記録 ソビエト連邦司法人民委員部著 外務省調査部訳 1938年6月〕が、蒋介石の軍事顧問となった。1935年5月2日、ゼークトの提案に基づき中華民国秘密警察の藍衣社が親日要人へのテロ事件を起こしたため、日本は抗議し、1935年6月27日、日本と中華民国は梅津・何応欽協定を結んだ。日本は、国民党政府側に「外蒙等ヨリ来ル赤化勢力ノ脅威カ日満支三国共通ノ脅威タルニ鑑ミ支那側ヲシテ外蒙接壌方面ニ於テ右脅威排除ノ為我方ノ希望スル諸般ノ施設ニ協力セシムルコト」(広田三原則)を提示したが、交渉に失敗する。1938年1月16日、近衛文麿は第一次近衛声明において、「爾後国民政府を対手とせず帝国と真に提携するに足る新興支那政権の成立発展を期待し是と両国国交を調整して更生新支那の建設に協力せんとす」と発表した。 経済統合については、世界恐慌や政治的意図により起こされたブロック経済の問題があり、経済戦において日満支経済ブロックが必要とされていた。また、ソ連の第二次五ヶ年計画完成による極東軍備の完成及び赤化攻勢の強化は差し迫った危機であった〔躍進日本と列強の重圧 1934年7月28日 陸軍省新聞班〕。ソ連からの亡命者のゲンリフ・リュシコフの情報により、日本の軍事力がソ連に追いつけないことが判明することとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東亜新秩序」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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