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近田 春夫(ちかだ はるお、1951年2月25日 - )は、日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー、音楽評論家、タレントである。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部ポピュラーカルチャー学科音楽コース教授〔京都精華大で佐久間正英、近田春夫、高野寛、Boseが教授 、ナタリー、2012年4月25日付、2015年2月6日閲覧。〕。別名は、近尾 春親(ちかお はるちか)、塚田 みのる(つかだ みのる)〔山田, p.171-173.〕〔濡れた賽ノ目 、日活、2015年2月6日閲覧。〕、デューク 柏淵(デューク かしわぶち)、President BPM(プレジデント ビーピーエム)、作詞センター(さくしセンター)、作曲研究所(さっきょくけんきゅうじょ)、東京アレンジサービス (とうきょうアレンジサービス)、SCSI-TR(スカジーティーアール)、NO CHILL OUT(ノーチルアウト)、Rice(ライス)等多数。東京都出身、慶應義塾大学文学部中退。スタイリストの近田まりこ(1952年 - )は元妻。 == 経歴 == * 1951年(昭和26年)2月25日、東京都に生まれる。実家は世田谷区等々力にあり、3歳からピアノのレッスンを受けて育った〔泉麻人『けっこう凄い人』p.41〕。 * 1957年(昭和32年)4月、慶應義塾幼稚舎に入学〔泉麻人『けっこう凄い人』p.42〕。この学校の中では実家が貧しく、そのことで暗い気分になった〔泉麻人『けっこう凄い人』p.40-41〕。 * 1963年(昭和38年)4月、慶應義塾普通部に入学〔泉麻人『けっこう凄い人』p.42〕。 * 1966年(昭和41年)4月、慶應義塾高等学校に進学するも高校在学時に音楽活動を開始、留年を重ねる。 * 1970年(昭和45年)、GS(グループ・サウンズ)末期のバンドロック・パイロットに参加する。また同じころ、元ザ・ビーバーズの平井正之・成田賢らのエモーションに参加する。 * 1971年(昭和46年)、4月、5年生まで留年して高校を卒業、慶應義塾大学文学部に入学するもほとんど学校には顔を出さず、高校時代から関わっていた『アンアン』の編集部で働く〔泉麻人『けっこう凄い人』p.44〕。クニ河内のバンド羅生門に参加、翌1972年1月、アルバム『インディアン、死よりも赤を選ぶ』を発表。 * 1972年(昭和47年)、元村八分の初代ドラマー恒田義見らとハルヲフォン(のちの近田春夫&ハルヲフォン)を結成する〔恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の「ハルヲフォン誕生 」(2008年12月14日付)の記述を参照。〕。同年、アラン・メリル、金沢ジュンとゴジラを結成、同年、内田裕也の1815ロックンロールバンドに参加〔「ゴジラ (バンド)」の項、およびファンサイト「アラン・メリル 」でのアラン・メリルインタヴューの記述を参照。〕。 * 1975年(昭和50年)、谷啓とザ・スーパーマーケット結成に参加。同年ハルヲフォンはメジャーデビューする。 * 1977年10月、『近田春夫のオールナイトニッポン』(火曜2部: 1977年10月 - 1979年3月、金曜1部: 1979年4月 - 同年9月〔「オールナイトニッポンのパーソナリティ一覧」の項の記述を参照。〕)放送開始。 * 1978年(昭和53年)、雑誌『POPEYE』で連載コラム「THE 歌謡曲」を開始、1984年まで続いた。シングル『ロキシーの夜』でソロデビューする。同シングルのB面を最後にハルヲフォンは解散した〔 * 1979年(昭和54年)、近田春夫&BEEFを結成。BEEFは翌1980年、ジューシィ・フルーツとして分離、デビューした。「THE 歌謡曲」をまとめた単行本『気分は歌謡曲』発売。 * 1981年(昭和56年)、窪田晴男、福岡ユタカらのバンド人種熱をとりこみ、近田春夫&ビブラトーンズを結成する。同年、ザ・ベンチャーズのアルバム「カメレオン」に加藤和彦、坂本龍一、ヒカシュー等と共に参加、ツアーにもゲストで参加している。 * 1983年(昭和58年)、元ハルヲフォンの高木英一、元ピンナップスの野元貴子らとゲートボールを結成。 * 1985年(昭和60年)、ヒップホップ専門レーベルBPMを設立、President BPM名義でラップ12インチシングル『MASS COMMUNICATION BREAKDOWN』を発表。 * 1987年(昭和62年)、元JAGATARAのOTOらと人力ラップビッグバンドビブラストーンを結成。 * 1995年(平成7年)、ビブラストーン解散、ソロでゴアトランスを手がけ始める。 * 1997年(平成9年)1月、『週刊文春』で『考えるヒット』の連載を開始。 *同年1月21日、Afromix名義でEP『444』、同年2月21日、EP『WORM』を発表。 *同年3月21日、SCSI-TR名義でEP『SCUTTLE SHAKE』、同年5月21日、EP『HOT ROD 2001』を発表。 *同年7月21日、NO CHILL OUT名義でゴアトランスEP『Black Light』、同年11月21日、EP『FUNKY-ZERO』を発表。 *同年11月21日、CHAKAとのバンドDelicious Hipによるアルバム『Delicious Hip』を発表。 * 1998年(平成15年)、「THE 歌謡曲」全連載内容を含む『定本 気分は歌謡曲』を刊行。 * 2002年(平成14年)10月13日、Omb、UKIASHI、USCUSとトランス・バンドThe Lunatic Thunderを結成、川崎クラブチッタで初ライヴ。近田はテクノ・トランス・プロジェクトRice名義。 * 2003年(平成15年)2月26日、The Lunatic Thunderの初アルバム『KINGDOM COM』、同年9月26日、Rice名義で初アルバム『B.P.M.syndicate』をそれぞれ発表。 * 2006年(平成18年)4月29日 - 30日、近田春夫&ハルヲフォン・リローデッド名義でハルヲフォン再結成。 * 2008年(平成20年)8月、S字結腸のがんを開腹手術。 * 2010年(平成22年)12月2日、NHKラジオ第一放送にて、『ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?』開始(1~2か月に1回の不定期放送)。翌年、新年度4月6日より毎週金曜日、週1回の放送開始〔“週1”化で、あなたはもう「ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?」に“やみつき”! 〕。 * 2011年(平成23年)6月20日、The Lunatic Thunderのアルバム『Encounter』を発表。同年12月10日、The Lunatic Thunder名義で、ageHaで行われた『ageHa×Mother presents Mother 9th Anniversary Party「MUSIC IS CONNECTED TO UNIVERSE」』に出演。 * 2013年(平成25年)4月、京都精華大学にポピュラーカルチャー学部開設、教授に就任〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近田春夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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