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東京航空交通管制部(とうきょうこうくうこうつうかんせいぶ)とは、埼玉県所沢市並木に所在する国土交通省の地方支分部局である。部内の航空管制機関である東京管制区管制所()で、航空路管制業務や進入管制業務などを行う。 東京管制部は東北地方南部から中国地方東部を管轄する〔情報区および管制部管轄空域 国土交通省航空局〕。施設は所沢飛行場の跡地に設けられ〔【浪漫系】技を超え 時代を超える 所沢市〕、所沢航空記念公園に隣接する。また付近には在日米軍所沢通信基地が存在する。 == 歴史 == *1949年:電気通信省航空保安庁、入間川保安事務所設置 *1950年:所管が運輸省航空庁に変更 *1952年:航空庁が航空局へ昇格。航空管制官第1期生訓練開始〔中野秀夫『航空管制のはなし』五訂版、2005年、6ページ〕 *1955年:占領軍ジョンソン基地(現:入間基地)へテイクオーバー要員として管制官を派遣 *1959年:運輸省航空交通管制本部設置。7月1日、航空路管制業務が米軍から日本国政府へ全面移管〔中野秀夫『航空管制のはなし』五訂版、2005年、9ページ〕 *1963年:管制本部がジョンソン基地から東京都東久留米市へ移転 *1965年:箱根航空路監視レーダー(ARSR)設置 *1966年:航空交通管制本部を廃止、札幌・東京・福岡の3地区に航空交通管制部設置 *1971年:雫石上空で自衛隊機と全日空機が空中衝突し墜落(全日空機雫石衝突事故) *1972年:箱根ARSR正式運用開始(聞く管制から見る管制へ) *1977年:東京航空交通管制部が東久留米市から所沢市へ移転 *1978年:AEIS及び洋上管制データ表示システム運用開始 *1979年:日本初の女性管制官配置 *1982年:システム統制業務運用開始 *1983年:航空路レーダー情報処理システム(RDP)運用(見る管制から読む管制へ) *1985年:日本航空123便墜落事故 *1990年:いわき洋上航空路監視レーダー(ORSR)運用開始 *1991年:新管制卓運用開始 *1992年:VHFデータリンク供用開始 *1995年:高速デジタル通信ネット供用開始 *2001年:日本航空機駿河湾上空ニアミス事故 *2006年:洋上管制業務を航空交通管理センターに移管〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京航空交通管制部」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tokyo Area Control Center 」があります。 スポンサード リンク
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