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東京ビートルズ(とうきょうビートルズ)は、日本のコピーバンド(バンド)、歌手グループである。 1964年(昭和39年)、当時世界を席巻し始めたばかりのザ・ビートルズの楽曲に日本語の歌詞をつけ活動した日本で最初期のロックコピーバンドである。もっとも東京ビートルズ名義2枚のシングル(計4曲)の演奏はスタジオミュージシャンによるもので、メンバーが担当したのはヴォーカルのみである。活動期間は約3年と短いものであったが、近年、その音源は日本のロック、ポップスにおける歴史的意義として再評価されている。 == 結成の経緯 == 太平洋戦争終結後の日本のポピュラーミュージックは、戦時中に敵性音楽として禁止されていた反動からジャズブームが起こり、日本ポップスの父と呼ばれた服部良一作曲によるスウィング・ジャズから派生した東京ブギウギなど、ジャズ由来の楽曲が一世を風靡した。また占領期の日本ではプロ、アマ問わず進駐軍の基地回りにおけるジャムセッションなども頻繁に行われ、戦後しばらくの期間は多くの日本人ジャスプレーヤーが育っていった時代でもあった。 やがてジャズブームが下火になると三橋美智也、春日八郎などの日本的音楽が台頭する一方、ジャズとハワイアンを融合させたフランク永井など日本独自のポピュラーミュージックが形成されていった。そんな中、戦後も10年を過ぎた1956年(昭和31年)、突如としてアメリカでエルヴィス・プレスリーが登場し、日本においてもジャズからロカビリーへと若者の音楽趣向が変化していったが、当時の日本のポピュラーミュージック界では、歌い手と演奏者(若しくは歌い手と楽曲作成者)は別個のものという概念があり、発声や音程が重視されることから楽譜による模倣が可能だったクラシックやジャズのプレイヤーに、情熱や迫力といったウェイトが大きい従来の音楽とは異なるロック音楽を模倣することは困難であった〔meet the東京ビートルズ・ライナーノート、(1993)大滝、p.8-10〕。 やがてロックの基盤を作れないまま60年代を迎えていた1964年(昭和39年)2月の始め、イギリスリヴァプール出身の4人組グループ、すなわちビートルズがアメリカのビルボードチャートを独占し始めたというセンセーショナルなニュースが日本ポピュラー界にも入り、これに便乗しようと雪村いづみの事務所である「木倉プロ」が若手歌手を集めて急遽、東京ビートルズが結成された。 ビルボードチャート独占ニュースからわずか1ヵ月後の1964年3月初旬のことであった〔meet the東京ビートルズ・ライナーノート、(1993)大滝、p.9、黒澤p.16〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京ビートルズ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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