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「東京市歌」(とうきょうしか)はかつて存在した日本の六大都市の1市、東京市が制定した市歌である。日本コロムビアから発売されたSPレコードでは「東京市民歌」(とうきょうしみんか)の表題が使用されている。作詞・高田耕甫(高田休廣)、作曲・山田耕筰。 本項では、市歌と同時に制定された「東京市童謡」(とうきょうしどうよう)についても解説する。 == 解説 == 第7代東京市長を務めた後藤新平の提唱で刊行されることになった『東京市民読本』の発刊記念事業として、1921年(大正10年)10月より市民歌および童謡の2部門の歌詞がまる1年をかけて懸賞公募された〔レファレンスの杜, pp182-183〕。1923年(大正12年)4月、後藤の後任で東京市長となった永田秀次郎が審査委員長を務め秋田雨雀、巌谷小波、久保田俊彦、西條八十、山田耕筰らを審査委員として両部門の選考を実施した結果、市民歌は330編の応募作から東京府職員で石川県警察部に出向中であった高田休廣(筆名・耕甫)、童謡は深川区(現在の江東区)の材木商番頭である吉田栄次郎の応募作がそれぞれ一等入選となった〔東京朝日新聞、1923年6月24日付2面「大東京の市歌 けふ当選発表」。〕〔読売新聞、1923年6月24日付5面「市民の歌と童謡」。〕。市民歌の一等賞金は500円、二等は300円で童謡の一等賞金は300円、二等が100円であった。 作曲は市民歌・童謡とも審査委員の山田耕筰に依頼され、6月14日に両曲の発表音楽会が日比谷公会堂で開催された〔レファレンスの杜, p184〕。ところが、主たる事業であった『東京市民読本』の刊行は9月1日に発生した関東大震災のため翌1924年(大正13年)10月と当初の予定より大幅にずれ込んでしまう。『市民読本』の巻頭には「東京市歌」と「東京市童謡」の歌詞が一等入選作品として紹介されているが、このうち「東京市童謡」に関しては作詞者が「故 吉田栄次郎君」とされている〔東京のうた, p131〕。吉田の死因については『市民読本』と同年に刊行された『市民の歌へる』巻末の訃報において、震災で店舗を全焼した後に再建のため奔走していたが病魔に侵され11月に亡くなった旨が記述されている〔市民の歌へる, p177〕〔読売新聞1923年6月24日付5面によれば、吉田栄次郎(1898年 - 1923年11月)は浅草区吉原(現在の台東区千束)生まれの数え26歳。精華高等小学校(台東区立蔵前小学校の前身校の一つ)を卒業後に深川の材木商で奉公人として働くようになり、入選時は番頭だったとされている。〕。 東京都の公式サイトでは「東京市歌」の制定年を発表音楽会が開催された1923年や『市民読本』が刊行された1924年ではなく、1926年(大正15年)としている。この年に刊行された『東京市政概要』大正15年版で「東京市歌」と「東京市童謡」の歌詞と楽譜が掲載されたことから、両曲が広く市民に知られるようになった〔レファレンスの杜, p186〕。1932年(昭和7年)11月には日本コロムビアから「東京市民歌」の表題で米倉俊英、またB面曲として「東京市童謡」を大川澄子がそれぞれ歌うSPレコードが発売されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京市歌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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