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東京横浜電鉄新宿延伸計画(とうきょうよこはまでんてつしんじゅくえんしんけいかく)は、かつて東京横浜電鉄(東京急行電鉄の前身)が東横線の渋谷駅から延伸し、新宿駅に至ろうとした路線延伸計画である。免許は取得したものの失効し未成線となった。 == 概要 == === 武蔵電気鉄道 === 東横線の計画は、1906年(明治39年)に武蔵電気鉄道が私設鉄道法に基づく申請をおこなったのが起源である。同社は広尾天現寺を起点とし、恵比寿駅を経て西へ向かい、平沼駅(現在の横浜駅近くにあった東海道本線の駅)へ至る計画で、1908年(明治41年)に創立総会を開催、1911年(明治44年)に下沼部から蒲田駅に至る支線とともに同区間の免許を受けた〔「本免許状下付」『官報』1911年1月17日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。 さらに1912年(明治45年)には祐天寺から代々木練兵場(現在のNHK放送センター付近)を西に迂回し、新宿に至る免許も得た〔同社では有楽町への延伸免許も申請するなどして、拡張政策により資金を海外からも獲得しようとしたという。〕〔「本免許状下付」『官報』1912年11月26日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。これが、本計画の元になった路線にあたる。 しかし第一次世界大戦勃発に伴う地価高騰の影響などの理由から、着工ができなくなる状況に陥った。1917年(大正6年)に前述した私設鉄道法に基づく免許を失効〔「私設鉄道免許失効」『官報』1917年5月14日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕させた上、新たに軽便鉄道法に基づいてほぼ同じ区間〔広尾天現寺 - 高島町・上目黒 - 新宿・下沼部 - 蒲田〕の認可を取得〔「軽便鉄道免許状下付」『官報』1917年11月2日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕したが、資金が集まらないのは相変わらずで、結局は田園都市会社という宅地会社の常務に就任していた五島慶太の手に委ねられることとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京横浜電鉄新宿延伸計画」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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